君と僕と幼女(Ⅱ)
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
ろりつね
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2011-03-29T01:02:03+09:00
君と僕と幼女(終)
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2fDn4D90B0FB
2011-03-29T01:02:03+09:00
2011-03-29T01:02:03+09:00
ろりつね
こんばんは。しばらく更新をサボって 自粛していたろりつねでございます。
長らく続けてまいりました当ブログですが、本日をもって終了・・・となるのかしら。
といいますのも、僕自身が東京に移住するからなんですね。
たぶんネット環境もないし、社会人になったら毎日更新してゆくことも難しくなるかと思われますので、一旦ここで幕を引こうと。
まぁネット環境も昔は申請して工事して、使えるのは申し込んでから何か月後・・・なんてこともありましたが、今はWiMAXなんかいう、申し込んだその日に即使用可能な通信回線もあるので、更新しようと思えばできるんですよね。
まぁそれでもやっぱり、ぐだぐだ続くのか辞めるのか分からない状態よりは、ね。
このブログは消す気はないし、HPも残しときます。いや、HP自体の更新はブログと違って継続していこうと思っております。でも東方も下火じゃない・・・?
それの関係で、更新通知的なブログは別に設置しようと考えています。
でもね、僕は書くのが好きなんですよ。
思ったままに。思ったことを。
このブログも、特に何かを伝えたくて始めたわけでもないのですよね。
書きたくて書いてたというだけのブログが環境的に停止するというだけで、その気持ちは変わらないわけです。
だからまたその気持ちが高まったら、どこかで書いているのではないでしょうか。
東京に行っても友達を作れる気がしない。
知っての通り僕は内気というか、仲が良くなればウザい感じで、まぁ一言で言えばウザいやつなので、今までも数多くの友達が出来たことは無く、そして作ることも出来ません。
ミクシィもやっていたことはありますが、ネット上の人間関係に嫌気がさして辞めました。ネット上なのにリアルの知人が絡んできて現実世界と同じようにガンジガラメになって、もう嫌になったんです。
ミクシィは知り合い作りには有用なツールとなりますが、必要以上の慣れ合いにもなってしまうので、僕のような内気でウザい人間には不向きです。
しかし独りぼっちは辛い。ともだちほしい。
友達ってどうやって作るんだっけ。だれかおしえてよ。
例えば同人サークルとかって、横のつながりが強いですよね。サークル内はちょっと別にして。
やっぱりそういう活動してたら友達増えるのかな。
サークルとして同人活動みたいなね。
でも僕には無理だろうな。基本的になんでもやる気のない人間ですからね。
下手でも何でも、やる気が大事ですよ。やる気が無けりゃ、好きでも上手くても、同人活動なんて出来やしない。
だいたいそもそも、「友達ほしい」なんていう他力本願な要望を述べている時点でやる気のなさが伺えようというもの。
友達は欲しがるものじゃなくて、出来るもの。作る物でもなくて、出来ているもの。気が付けば友達。
「友達欲しい」などと言って行動していないからこそ、そんな要望が出てきてしまうわけで。
でも行動しない僕。
友達ほしい。
それではまたいつか会える日まで。
ではまた。
ろりつね(17才)
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日常
ヒウィヒヒ
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2fEY4D875FE3
2011-03-21T23:25:39+09:00
2011-03-21T23:25:39+09:00
ろりつね
お久しぶりです。ろりつねです。
とりあえずいつ突入したのか分からない「春休み」なる、人生最後の長期休暇をエンジョイしているわけでもなく、4月に向けて色々と準備をして忙しいところでございます。
とはいえ更新できなかった訳ではないのですが、なんかこう、忙しいんですよ。
このブログもいつまで続くのかねぇ。
最近アレだね、欲しいものが多いですね。
ギターとかね。
友人がギターを買ったのですが(しかもテレキャス。テレキャス。)、その所為で僕も欲がががが・・・
まぁ、買えませんけど。
エフェクターも欲しい。
オーバードライブとかディストーションとかファズとか。アンシミュとか。
っていうか全部一新したい。
アンプも引っ越したら使えんし。
もうね、全部変えたい。ギター(ストラト)も弾きやすいから不満はないけど、テレカスが欲しいんだよぉ!
アベさんモデル欲しいね。いやまぁ公式シグネチュアじゃないんだけどさ。
あとアレだね、この前も登場したけど、ループサンプラー系。
ワンフレーズを録音して繰り返して多重録音して・・・っていうやつ。
RC-3とかJammanとかJM4とか。
NAMMショー(楽器の新製品発表みたいな)で色々新作が出ましたが、これらの発売は4月ごろからとなりそうです。
とはいっても、発売直後に購入は出来るわけないんだよね。お金が無いよ。
働きだしたら買おう。
そうそう、PCを買いました。後で考えてみると、何もこのタイミングで買わなくても良かったんじゃないかと思ったりしていますが、まぁ遅かれ早かれ買うのなら早くてもいいと自分に納得させております。
震災の影響もあって、通常配送日から1週間程度は遅延するようです。
だからギターも買えません。
でもこれでDTMだろうがエンコードだろうが何だろうが、基本的には何でも出来ますね。今までは全てノートPCだったので辛かった。
楽譜作ったり、それを鳴らしたり、録画したり、エンコードしたり。DAWで音楽作ったり、ソフトシンセ鳴らしたり、プラグイン使ってみたり。
これらを貧弱なノートPCでやるってのはちょいと無理があったんですよ。
DAWなんて正常に動かんもん。
今のこのノートPC購入したのが5年前くらい。その時のスペックで14.1"、HDD80GB、メモリ512MB、Core2Duo(2GHz)ですからね。
今は色々換装したりしてますが、この構成で14万くらいしてた気がする。
大容量バッテリーも、最終的には今はもう10分くらいしか持たないから、コンセントが無いと意味ない。バッテリーの意味ない。UPS代わりにしかならない。まぁ家のブレーカーは屡落ちたから、無いよりは役には立ってたけど。
PCを買う時の店員さんがすげぇフレンドリーっていうか、「DTMもやってます」って言ったら口調が変わったんだぜ・・・
いまさら「DTMほとんどやってない」なんて言えるわけもなく。でもまぁ同じ匂い(オタ的な意味で)がするのは分かってたので、却って親しみやすかったですね。そのお陰で購入に踏み切ったってのもありますし。
「PCなんて店で買う意味ない」とか思ってましたが、DELL リアルサイトではネットでも店頭でも同じ値段なので、色々聞けて良かったと思います。
まぁその代りネットでも店頭でも同じだけ配送日数掛かるんですけどね。
いつの間にか3月21日ということであと10日もすれば僕も社会人ということですが、その前に色々とバタつくので更新出来ないかもしれません。
うん、まぁそんな感じ。
ではまた。
ばいくのりたい
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日常
リテラシーについて
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2fHx4D7CC76B
2011-03-13T22:32:27+09:00
2011-03-13T22:32:27+09:00
ろりつね
45000ヒットありがとうございます。
ここ数日において、ツイッター等の扱いについて、利用者のネットリテラシー(インターネットの基本的な扱い方)の欠如が見受けられる。
僕はインターネットには、人種、性別、国籍、職種、年齢など、あらゆる差異は存在しないと考える。
顔が見えない故に、すべてはその発言の内容によって、レッテルが張られるのだ。
つまり、5歳児だろうがネットで紳士的であれば紳士として扱い、学者でもがネット白痴ならそのように扱われる。
それは男でも女でも、日本人でも欧米人でもそうだ。
だからこそ、ネット上における発言の責任は、現実世界より遥かに重い。
インターネットが簡単手軽で身近なものになった今日では、そういった認識すら曖昧なまま、実に無責任な発言を行うものが後を絶たない。
特に中学生以下などは、インターネットを知りながらにして、その本質を理解していない者が多い。
だから書き込む本人は「中学生のノリ・戯言」として発言していても、受信する側にはそんな事情は無関係だということも知らない。
「自分の常識が相手にとっても同じである」などと戯けた妄想を本気でする。
それ以前に、自分の行動が後々どういった影響を及ぼすのかを理解していないし、自分の行動を客観的に見れてもいない。
(まぁ中学生以下が自分の行動を客観的に見れるわけがないのだけれど)
ネットにおいて、「学生だから」なんていう免罪符は、本来存在しないのである。
なぜなら、現実に学生であるかどうかなんて分かりはしないのだから。
もしそれで罪が許されたとするならば、それは無責任な発言者の功績によるものでも、「学生である」という発言が信じられたからでもなく、単純に温情をかけられたか、相手にするだけの価値がないだけの話なのだ。
とはいえ先にも述べたように、これは年齢とか学歴によるものでは決してなくて、短期的な先見性(つまりネットリテラシー)の問題である。
中学生でも小学生でもしっかりしている人はしている。
しかしそれは特別なことではなくて、ネットを利用する上で備わっていなければならないものなのだ。
別段、備わっていなくてもネットは利用できる。しかし自分の身を守りたいなら、身に付けておくべきだとは思う。
ネットは良い意味でも悪い意味でも平等であると僕は思う(もちろん倫理的にも法的にも年齢制限はあるが、それはネットに限った話ではない)。
だからこそコミュニケーションツールやブログなどのサービスは平等に使えて、平等に発信できる。
しかし現実とあまりに異なるその "大前提" こそが、実に危険なのである。
というのも、大学・高校ともなれば話は別かもしれないが、学生というのは基本的には「一人前」として見られていない。
つまり、「子供」ということで、大人と同等の権限など与えられはしないのだ。
そしてそれは概ね正しい見解であって、実際に(本人は大人のつもりでも)子供なのだ。
一人前の思考をしているつもりでも、それは感情的であったり、浅はかであったり、論理的でなかったり、場当たり的であったりする。
それゆえに「大人」扱いされないのだが、本人はちょっとした自立心と反抗心を燃やす。
そこで "あらゆる者に平等" なネット上では、現実での不遇の扱いから解放され、「偉くなった」と勘違いしてしまう。
まぁ事実、階級でいえば「子供」から「大人扱い」ということで偉くなったと言えなくはない。
しかしその実、これは「偉くなった」のとは本質的に異なる。
先にも述べたように、偉いとか卑しいとか、そういった身分も何もかもの条件がリセットされて、すべてが平等になるのだ。
だから「偉くなった」と勘違いしてそのような態度をとると、袋叩きにあうのも当然といえば当然だ。
ツイッターは非常に手軽で身近なツールだ。
それは人類にとって喜ばしいことなのかも知れないが、良い事ばかりではない。
ネット人口が増えるにつれ、ネット全体が低年齢化している。
昔のインターネットでは、低年齢の者は使用方法が理解できなかったり、そもそも情報の発信方法が不明だったりした。
しかし今では「誰でも」「簡単に」「手軽に」「情報を発進できる」。
受信するだけならば構わない。それが当人の害になろうと、それこそリテラシーが足りずに身を守れなかっただけのこと。
しかしこういったツールでリテラシーの足りない者が発信するということは、当人以上に誰かの害になる可能性がある。
昔は、発信者こそは強者だった。
今でもテレビは強者だと言って差し支えないだろう。
一方的に発信し、それが真実かどうか分からなくても、信じるより他にない。例え嘘でも、嘘だと分からない。
嘘だと分かっても、それを広める手段がない。苦情を出しても、弱者の意見など黙殺される。
最悪の場合でも、発信者とはいえケツ捲って逃げ出せば、自身に害は及ばない。
これがそのまま、「誰でも発信者になれる」のだとしたら、どんなに恐ろしい事か。
その恐ろしさについて、利用者が分かっていない人が多すぎる。
とはいえ、ツイッター等のツールが発達したのはここ数年で、ここまで普及したのもつい最近だ。
既存のネット社会とは異なる性質が、ここ数年で一気に広まった。
その割に、心構え等は浸透していないのが問題だ。
運営としては利用者が増えるほど儲けるのだろうが、それだけでは成り立たない。
「利用者が利用されてる」なんてことにならないためにも、今一度、自分の発言がどういった影響を及ぼすのか、客観的に考えてください。
このような時だからこそ。
ではまた。
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日常
気が付けば/一秒/肉/PC
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eVi4D74C128
2011-03-07T20:27:36+09:00
2011-03-07T20:27:36+09:00
ろりつね
お久しぶりでございます。卒研もひと段落して一安心のろりつねでございます。
まぁまだ完全に安全地帯というわけではないのですが・・・というか寧ろヤバい?
いつの間にか3月も7日でございます。
昨日、3月6日は啓蟄ということで、「春の温かさが感じられる日」ということでございました。
でも昨日の気温、氷点下だった気がする。
ここ最近また寒いのがぶり返してきまして、普通にマイナス2℃3℃という具合でございます。
まぁ寒いのももう慣れましたね。さすがに。
とはいえ苦手なものは苦手でございます。
できれば暖かいに越したことはない。
今日、ちょっと時計の日付がずれてたので直してたのですが、「あれ?一秒早くね?」とか思ってしまいました。
確かに早い。一秒が早い。
僕の知る一秒より、0.1~0.3秒くらいは早い。こんなの一秒じゃない。
一秒ってのはね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。
年を取ったということだろうか。17才にして。
最近、17才ネタ(ネタじゃなくてマジなんだけど)がちょっと本人の年と乖離しすぎてて、ネタにしか聞こえないように見える。
本人は至って真面目なのです。
しかし最近はアレだ、学生時代にも別れを告げ社会人となる準備等で、会社に行ったり社会人と触れる機会が多くなってきたから、昔みたいに「17才の精神状況だ」という心境は薄れてきた。
不老不死には相変わらずなりたいけれど。
最近の食欲のなさがスゴイ。
僕は朝は基本的に食べない人だけど、昼もそんなに食べる人ではない。しかしだからといって夜に沢山食べるかといわれると、そんなことは決してない。なんなら昼飯か晩飯のどちらかが無くても構わないくらいだ。
ということで、一日に昼のみ、それもカップラーメン程度しか食べる気がしない。
しかし今日は卒研がひと段落したので、久しぶりに晩飯を食べた。
とはいっても、それも昼抜きだったから兼用だけれど。
普段は380円の弁当だけど、今日は480円の弁当にした。ちょっとしたぜいたく。
ここ最近、PCの調子が悪い。
買ったのはもう5年前近くになるし、あちこち持ち運ぶし、基本的に毎日使ってるから、寿命だと言われれば納得できる程度の状態ではある。
買ってからこの間に、技術は目覚ましい発展を遂げた。
当時なら30万円くらいしそうなスペックのPCも今じゃ10万代だし、ノートPCの性能も飛躍的に向上している。
ということで、次代のPCの品定めをしている。
どうせDTMをやるのであれば、中途半端大きさ・スペックなノートではなく、DTMにも使えるちょっと高性能のデスクトップを一つ買った方が良いだろうと思う。
とはいえ、ちょっと高性能といっても一昔前の超高性能くらいの性能はあるし、それでも値段は僕の今のノートPCより安い。
しかしノートPCの利便性や手軽さは捨てがたい。
そこで、高性能デスクとは別に、中性能ノートがあると小回りが利いていいかも知れない。
とはいえこれも中性能などといって僕のノートPCより高性能で小型・低価格なわけだけれど。
そのノートの理想は11~13インチ程度。細かいスペックは、今の時代なら選り取り見取りだから、予算内で出来るだけ高性能なのを。
しかしながら、今使ってるノートPCのように、一台でデスク的使いかた・ノート的使い方をするわけじゃないから、そこまで高性能なのは必要ない。
ここまでくれば、車やバイクの性能と同じだ。
実用域は、バイクじゃ精々40PS程度。車なら100PSあれば十分だ。
バイクも普通に走るだけなら30PSでもいいけれど、追い越しとか高速で快適に走るというのなら40以上は欲しい。
PCも同じで、常時その性能をフルで使うことはまずない。
しかし車等の加速時のように、一時的にでも快適さを失わない程度の保険のような性能は欲しいところである。
しかしMac book Airも気になるところではある…
ではまた。
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日常
ピック失くした
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2en54D6CF341
2011-03-01T22:23:12+09:00
2011-03-01T22:23:12+09:00
ろりつね
先日っていうか3日前に買ったV-Pickが消えました。
「失くした時が物の寿命」などと書きましたが、3日って過去最短ですよ。
なんなの?630円が3日で消滅ですけど。
そういう装置かなんかついてるの?
それとも妖怪? "妖怪ピック隠し"?
こいつはどこの家にも表れますけどね。
でもよりによって一番高いやつ持ってくことないじゃないの。
ちくしょう。
卒研忙しすぎて更新できません
ではまた。
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日常
ピック
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eRP4D6A439A
2011-02-27T21:29:11+09:00
2011-02-27T21:29:11+09:00
ろりつね
東京に行ってきました。しかし別に何か買ったわけでもなく。
とはいえ何も買わないのも癪なので、V-Pickなるものを買ってみた。
ギターのピックです。透明の。おにぎりの。
これが一つ630円もする。
なんでこんなに高いのか。材料が特殊なの?
他のピックと違うといえば、厚さと、硬いことくらい。
それとまぁ透明度という点でも他とはかなり違うかと思いますが、これってアクリルかなんかで出来てるのかしら?
それとも”象が踏んでも壊れない”ポリカーボネイトかなにか?
調べてみると、「強化アクリル」らしいです。
まぁ材料が分かったところで意味はないのですが。
で、帰宅して弾いてみました。
カッティングがしやすいと思います。
ピックが厚いことによって持ちやすく適度なリラックスが出来るのかしらね。
そしてピックが非常に硬いため、弦に当たっても通り抜けるような感覚。
「とんがり」の部分が適度に角度がついていて、これがちょうどいいのかな。
プラスチックとか、普通のピックだと「とんがり」の部分も微妙な丸みがついていて、これでカッティングをすると歯切れの良くない音になるのかも。
まぁ全部推測なのですけどね。
変わった気はします。まぁ600円なら許せるかな。
どっちにしてもオニギリピックを買う予定でもあったので。
僕はピックはオニギリ派です。
好きな材質も実はあります。
上の写真の黒いピック。これの材質がお気に入りで、ずっと使っています。もうこのピックで1年くらい、オニギリに目覚めてからかれこれ3、4年はこの材質です。
しかし残念なことに、この材質のピックは次々と販売されなくなってゆきました。昔はギブソンのもあったのに、今はないし。
材質は不明です。プラスチック的な素材なのですが、しなやかで手になじむ。今はもう書いてあった字も消えてしまいましたが、プラスチックと書いてありました。
今使ってる黒いのはタカミネのピックで、でもまぁ高いなんてことは全くなくて、普通に105円だったと思います。
しかしずっと使ってると角がとれて丸くなってきてしまって、これはこれで使い慣れてて良いのですが、やっぱり音も丸くなるきがする。
そして上の写真の左の白いやつを買ったのですが、これも普通のプラスチックピックとは少し違います。とはいっても基本的にはプラスチックで、やっぱり黒いやつがベストなのですが、黒いのはどこにも売ってない。
白いのはグレコので、黒いのがアレなので最近これを使っていますが、やっぱりなんか違う。まず第一に、黒いのより薄い。そして硬い。手になじまない。
フェンダーとかの白いピックありますよね。ピックの話をするなら、スタンダードがないと解説しても意味ないですしね。
そのフェンダーの白いのも使ってましたが、アレはダメ。手になじまないしツルツルしてるし、すぐ減るしへんに柔らかいし。
だからあーいう材質はダメなんです。
そして今回買ったV-Pickですが、これは合格ですね。やっぱり黒いのがベストなのは変わりませんが、持ちやすくてカッティングがしやすいのが良い。
これまで、大体ピックは使い切ったことが無いです。無くして終了するのが普通です。
まぁきっとみんなそうなのではないかと思いますが。
消しゴムと同じですよ。消しゴムを使い切るって、相当ムズカシイと思う。
そもそも消しゴムの寿命なんて、あるようで無いのです。どんなに小さくなっても、一応消しゴムの能力は失われたわけではないのです。
ただ、使う側の人間が小さすぎて使いづらいということで「捨てる」だけなのです。
ピックも同じです。僕のピックももう大分角がとれて丸くなってますが、ピックとしての機能は失われたわけではない。だから「使い切る」ということが出来ないのですね。
だから消しゴムも鉛筆もピックも、無くした時が寿命なのかも知れません。
このV-Pickの寿命はどれくらいかな・・・?
高かったんだから、すぐ逝くなよ。
長寿ピックといえば、ウチの母のピックがありましたっけね。30年前のギターとギターケースのなかに入ってたものなので、自然とピックも30年前ということになりますか。
母が僕と同じ年の頃に弾いていたギターですよ。高校時代に弾いていたギターが、弦も張りっぱなしでケースに仕舞われて、30年経って僕がそれを引っ張り出した。
僕が初めてギターに触れたのは、そのギターですからね。
そのギターで半年くらいブルーハーツの弾き語りを練習して、高校入学時にエレキギターを買って、そして今がある訳ですよ。
なんか、ノスタルジィとも違うけど、しんみりとするね。
あぁ歳とりたくねえ。
未だに僕の夢は不老不死。
ではまた。
そういや銀座の山野楽器の本店?に行ったのですが、エレキ売り場の店員ってアレ売る気まったくないね。
最初は「あぁ接客がうるさくなくていいわ」と思ったんだけど、違いましたね。「見るだけは客じゃない」みたいな感じ。眼中になかったもんね。
まぁ陳列してるギター全部高額なのと、僕がみるからに若造なのもあったんだろうけど。何その舐めた態度。もう行かねえ。
ではまた。
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日常
妖怪
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eZm4D665ADF
2011-02-24T22:19:27+09:00
2011-02-24T22:19:27+09:00
ろりつね
テスト期間も本日で終わりというのに、終わった後もとても忙しい。
明日は朝一で東京です。
もしかしたら日帰りでそのまま学校行って卒研かも。
日帰り出来なかったらネカフェで一泊して函館帰ってから卒研です。
ここまできたらもうあとは頑張るだけですね。
夏目友人帳の第三期の放送決定!
http://www.nasinc.co.jp/jp/natsume-anime/
いやっほおぉぉおおぉぉう!!
これであと10年は戦える!!
いやーまさか来るとはね。希望はしてたけど期待はあまり持てなかったのですが。
だって元々単発の1クールのアニメが2クールやっただけでも中々のもんですよ。
しかも少女漫画誌で、単行本もまだ11巻くらいですからね。
少年漫画誌は少年少女、大人も読みますが、少女漫画誌は少年や男性はなかなか手を伸ばしにくいものです。
だから2期でも満足してたのですが、まさかの3期ですよ。
昨今は妖怪ブームなどといわれておりますが、みんな実は心のうちでは「妖怪がいて欲しい」と思っているのではないでしょうか。
柳田國男「妖怪談義」の内の妖怪古意の章十二に拠れば、
『そのたおばけたちは本来は無害なものであった。(中略)素直にかれが威力を認めその命令に従順である者に大きな恩恵を付与したというのみならず、(略)』
『しかも信仰はいよいよ変化して、今では児童の最も幼い者の間に、わずかに残塁を保つに過ぎないのに、他の一方には何とかしておばけを恐ろしい形に作りかえて、いつまでもこれを信じようとする者が絶えない。おばけの話の年と共にあくどくなるのは、考えてみるとおもしろい人心である。』
と述べております。
『目的は要するに、相手の承認、ないしは屈服にあった』と述べるように、妖怪は決して人々に害を与えるだけの存在ではなく、むしろ日本で言う神の性質を持っていることが分かります。
良く聞く物語でも、妖怪を蔑ろにした物はひどい目に遭うといったことが多いのではないでしょうか。
『幽霊は居るよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしない』というのは京極夏彦の「姑獲鳥の夏」での台詞ですが、僕も同じ考えです。
人間は事実を目の当たりにすることは出来ても、真実を見ることは出来ない。
「目で見る」という光の屈折現象と神経の電気信号のやりとりと、それを制御する脳髄というフィルターを通すということは、すなわちどこかで恣意的に情報を操作してしまえるという条件にあるということです。
真実では存在していないのに、脳が「存在する」と判断すれば、すべての信号が脳で処理されている以上、それは当人にとって「存在する事実」となってしまうのです。
要するに、「脳の独裁政治」とでもいうような、しかも政治というにはあまりにも影響力が強すぎる指導者といえるのが脳であり、それが「白」といえば、黒も白になってしまうのです。
とはいえそれに従うのもまた当人だから、当人は常に無意識であるわけですが。
そして妖怪ブームであるいま、妖怪のその、「相手の承認」という目的は緩やかに浸透していっていると言えなくもないと思います。
そも、信仰という点では科学信仰も甚だしい現代日本において、妖怪という現象がいまだに蔓延しているなどとは誰も彼も思いもしないからこそ、妖怪に対して「居て欲しい」と思う動きが活発なのでしょう。
これが妖怪が跋扈する時代であったら夜道などは何が起こるか分からないから、「居て欲しい」などとは思わない。
「黄昏」というのは「たそかれ」、すなわち「誰そ彼」という意味で、夕暮れ時を黄昏時やカハタレ時などと言ったりするのは、暗がりで相手の顔が見えないためです。
相手の顔が見えないと何が困るのか。
そもそも昔には村などは小さく、大きな町でも出歩く範囲の人間は割と見慣れた人間が多くありました。
そこに「見慣れない姿」のヒトカタが現れたとしたら、それは当然怪しい。素性は知れないうえに、「人か、妖怪か」と訝るのは当然です。
おばけや妖怪であっては堪らないから、「お晩でございます」などと挨拶をします。
つまり挨拶をするのは、防衛手段でもあるのです。
そこのところの詳しくは「妖怪談義」を読んでいただくとして、妖怪ブームに反して「無縁社会」などと謂われる現代では、やはり妖怪は古来の姿では在り得なくなっているのではないでしょうか。
それとも、完全に幻想のものと化したからこそ、物語の中にしか登場し得ないのでしょうか。
何れにしても、妖怪というのは現象であり概念であり、恐怖といった感情や畏怖の対象でもあるような、有耶無耶な存在です。
だからこそ、我々が「存在しない」と思えばその通りなのだし、「居る」と思えば、それもまた正しいと謂えるのです。
要するに、ある現象や概念を妖怪だと唱える者が増えることが妖怪の目的であり、存在意義であり、また存在そのものなのです。
ではまた。
ああ忙しい。もう寝よう。
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日常
L
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eU84D627228
2011-02-21T23:09:44+09:00
2011-02-21T23:09:44+09:00
ろりつね
折角真面目に書いてたのにブラウザが落ちて全部消えました。
だから短めに。
といってもさっきまで書いてたのはなんかもうどうでもいい気分なので、別なことを。
まぁ話題も無いのですけれども。
そうだ。
前々から行きたいと思ってたラーメン屋に行けました。
函館はラーメンもそれなりに有名で、有名店もちらりほらりとあります。
まぁ「函館ラーメン」といえば塩らしいのですが、僕は醤油一筋ですね。
例えおススメが味噌とか塩でも、絶対に醤油を食います。
なぜなら、醤油は腕が出るからです。
さらに、失敗は少ない。
そして基本的に安い。
おすすめが味噌でも塩でも、ラーメンの基本は醤油ですよ。醤油がマズいラーメン屋は、他の味もマズいんですよ。
逆に言えば、醤油が不味かったらもうラーメン屋の意味ないですよ。オススメとか言う前に醤油の基礎から出直してこいって感じですよ。
まぁ函館には不味いラーメン屋はそんなにありません。
基本的には並かそれ以上ですね。
でもグルメ誌に載るような有名店はホントに美味い。
しかし、謎に不味い店も存在する。しかも高い。
こういうのはなんというか、向上心が無いように見受けられるのです。
もう数十年前と悪い意味で変わらぬ体制。それがよろしくないわけです。
そういう店は長くやってけないと思うのですが、函館はなぜかそういう寂びれた店も多いんですよね。失礼な話なのですが。
「やっていけるのだろうか?」と思うような店もちらほらり。
うん。
あぁ眠い。勉強しなきゃ。
☆勉強☆
ではまた。
ラーメンのLはLでいいのかしら。
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日常
M
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2ex44D5FCE45
2011-02-19T23:05:56+09:00
2011-02-19T23:05:56+09:00
ろりつね
気が付くと一日が終わっていて更新したくてもできないという言い訳を述べてみたりします。
「アレについて書こうかなあ」などと思っていても、もうその日の夜になると忘れてますよね。もう忘れました。
というわけで書くことがありません。
というわけでバイクの話。
今、中国とかで自動車産業が盛んです。
でもバイク産業は相変わらずですよね。中国で本格的にバイクを作っているメーカーは僕は知りません。
韓国自動車もヒュンダイなんかが元気ですが、バイクメーカーのヒョースンは別に有名になったわけでもなく。
自動車とバイクは根本的に異なるものの、その根源となる部分は同じだと思うんですよね。
その証拠に、バイクメーカーは自動車の部品を作っていることが多い。
ホンダは言わずもがな、スズキもメインは軽ながら、自動車でも有名です。カワサキは川崎重工業で飛行機とかジェットスキーとか作ってるし、ヤマハもヤマハ発動機として小型ボートやジェットスキー、スノーモービルを作ってます。昔は2000GTなんかのエンジンやさらに昔には航空機のエンジン部品も作っていたようです。
BMWはバイクも車も有名だし。
まぁ車のメーカーはバイク以上に資本が入りますからね、そんな大企業はそうそうないのではないかと思います。詳しくは分かりませんが。
まぁ今の時代、バイクの存在そのものが趣味以外の何物でもない感じですから、いわゆるレジャー産業に近いのかもしれません。
しかも今から新規でメーカー作って新開発するくらいなら、すでに完成された日本製のや欧州製のバイクを輸入して売ったほうが利益が出そう。
新規参入するということは、それらのメーカーと真っ向から立ち向かわなければならないわけで。
膨大なノウハウと開発資金と人員の持つ大企業には、逆立ちしても勝てませんからね。
しかし自動車ならば、話は少し違う。
自動車は趣味性もありますが、それよりは必要性のほうが高い。バイクより便利だしね。
しかしだからといって、欧州や日本なんかの自動車は高額で、過剰ともいえる品質を持っている。
「そんなのは要らないからもっと安くしろ」というのが発展途上国の懐事情だから、そこらへんを狙って新規参入してゆけば、あわよくばその客層を取り込むことが出来る。
つまり、自動車は競合しないんですよね。
バイクは客層が有ってないようなものだから、どうしても競合してしまう。
だから中国からバイクメーカーは参入してこないのではないでしょうか。
韓国のヒョースンもミドルクラスを出してはいますが、正直言って品質はかなり劣る。
スペック値では「それなり」ではあるものの、実際にはやはり日本製の同クラスのバイクを比べると、それは顕著になります。
しかしその分、値段は安い。まぁそもそも日本の250㏄とか高すぎるんですよね。
だから日本のメーカーと競合しない。
だから生き残るわけです。
まぁヒョースンの発展の裏にはスズキの涙があるとかって噂も聴きますけどね…
それが真実だったら許せんけど。
でもヒョースンのバイクって油冷なんですよねぇ。それがなんか、その噂を裏付けているような気もするのですが。
まぁそれは置いておいて。
でもやっぱり今の日本のバイクメーカーがここまでになったのは、「バイク黎明期」だったからではないかと思うんですよね。
まだバイクが技術的にも熟成されていなかった時代。
最新最高の技術の粋を集めたレーサーが、まだ空冷単気筒だった時代。
そんな時代を経てきたからこそ、今のノウハウがあって、今のメーカーがあるのだと思います。
今はもうバイクは成熟期ですからね。空冷は絶滅に近く、基本的にすべて水冷エンジンになっています。
それに怪しい技術の開拓はあまりされてません。ロータリーエンジン搭載しようとしたり、6気筒にしようとしたり、油冷にしてみたり。
「世界初」というのが、項目的に少ないんじゃないかと思います。
昔はDOHCでもすごかったし、4気筒なんてレーサー以外じゃ考えられなかった。一気筒4バルブというのもレーサー使用だったし、「ラジエター」という存在があこがれの的だった。
そんな一つ一つの感動や衝撃が歴史となってきて、メーカーの礎となってきたのです。
とはいえ、「今更新規じゃダメ」なんていうのではなくて、でもやっぱり苦戦は仕方ないと思いますね。
それにこれから日本のバイクメーカーは増えることはないでしょうね。もしかしたら、減ることはあるかもしれませんが。
うーん、4社ともに偉大なメーカーだから、この先何か有っても、存在が無くなるのだけは避けてほしいですね・・・
まぁ昔にはたくさんのバイクメーカーがあったのですけどね。
スバルもバイク作ってたし、カワサキに吸収されたメグロも、高い技術を持っていたわけですし。
この先どうなるのか、まったく分かりませんね。
ではまた。
メーカーのM。
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日常
C
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eE64D5BF288
2011-02-17T00:51:36+09:00
2011-02-17T00:51:36+09:00
ろりつね
テスト勉強しなければならないというのに、車の中で聴くためのCDに入れる曲を入れるか入れないか迷っているあいだにこんな時間です。
ミッシェルガンエレファントなんかは1枚にまとまらないので、結局2枚にしました。
ハイロウズは頑張ってまとめたいところ。
ブルーハーツも1枚にしたいけどなあ。
まぁ今の車はAUX対応だったりしますが、ウチのは中途半端な年代のオーディオなので、CDとラジオしか付いてないんですよね。
音楽プレーヤーにトランスミッタつけて、ラジオで聴くことも出来ますが、音質は悪いし音量は小さいから最大にしなきゃならないし、それだと電池が持たないしで、基本的に良いことはないです。
だからCDにして聴いているのですが、MP3をオーディオで聴けるCDMAに変換すると、どうも調子が悪い。
それも新しいCDオーディオなら問題無いのでしょうが、聴けたり聴けなかったりするんですよね。
最近のはCDにMP3形式のまま焼いても読み込むんだっけ。便利やねぇ。
そんでそれをオーディオに搭載されたメモリに保存していつでも聴けると。
いいねぇ。
まぁそういうのも、カセットが付いてれば基本的には完結するんですけどね。
デジタルプレーヤーをカセットプレーヤーで聴けるアダプタが売っているのですが、これだと音質も良いし音量も問題ない。
だから前の車だとこれを使っていたのですけどね。構造も簡単だから安いし。
CDだと80分しか入らないんですよね。ディスクの容量としては700MBくらいなのですが、MP3でもCDオーディオで聴くには80分以内に収まるようにしなければならない。
だからお気に入りの曲の多いアーティストは、CDに入れるか否かを選ぶのがスゴイ迷うんですよねぇ。
MDなんてのもありましたが、アレはもう廃れましたねぇ。
僕は一度も使ったことはありませんけどね。
普通ならばポータブルCDプレーヤーから、MDウォークマンを経てiPod等に移行するのでしょうが、僕はCDからMP3に飛びましたからね。
まだまわりにMP3プレーヤーなんて持ってる人は存在しませんでしたね。iPodすらなかった。
そのMP3プレーヤーはHDDを搭載してて、その大きさが2.5インチなんですよね。デカい。そして重い。そんでデータ読み込みに「ぶーん…」って音がするんですよ。もちろんその分電池も食うのでしょうし。
だから今の音楽プレーヤーは基本的に全部フラッシュメモリになってますよね。
当時にもフラッシュメモリのプレーヤーは多かったのですが、HDDを選んだ理由が「容量」です。
今は小さくて長持ちで大容量になってますが、当時なんて128MBとか、最大で2ギガぐらいしかなかった。
そんなんじゃ「お気に入りの曲を高音質で持ち運ぶ」なんてのは夢の話ですよ。
だからHDDのモデルにしたのですが、持ち運んでも意外と壊れませんでしたね。
最終的にはハード的な要因じゃなくてソフト的に壊れたわけですし。
まぁ僕の使い方として、音楽のプラットフォーム的に、固定して使ってたってのもあるかも知れませんけどね。
時には持ち運ぶと。当時は自分のPCなんて無かったから、音楽を聴くのもCDプレーヤーとかだったんですよね。
まぁそれも10年近く前の話になるのかな。いや、6、7年前か。
年数だけみると全然経ってないのに、時代は激しく変動したように思えます。
IT関係の値段が暴落してますね。PSPの次世代機NGPもPS3並みの性能だというし。
一昔というのが何年前を指すのか分かりませんが、本当にちょっと前からは比べるべくもないほど変化が著しいですねぇ。
とはいえ、ちょっと上限も見えてきた感も否めませんけどね。
2テラのHDDも安いけど、そんなに大容量のデータを管理してたら壊れた時に死にそうになる。だからちょっと高くてもデータはバックアップとか色々分散させて保管したいですよね。
だから2TBとか安くなっても、実際のところどうだろう。
CPU性能もかなり高いのに値段は安くて普及してるけれど、今度はそれを一般人は使いこなすことが出来ない。
そうなると結局、意味はないんですよね。
技術的な上限とは別に、人間とコンピュータの差が開きすぎたことによる普及の上限にぶち当たっているのかも知れません。
ではまた。
CDのCはコンパクトのC。
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日常
T
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eXe4D5AA53C
2011-02-16T01:09:32+09:00
2011-02-16T01:09:32+09:00
ろりつね
普通に更新を忘れていた。
しかし決して遊んでいたからだとか、寝ていたから更新しなかったのではない。
勉強していたのである。
☆勉強☆である。
こんな僕が☆勉強☆をする時期というのは一つしか存在しないし、目的も一つしか存在しない。
端的に言うならば、卒業するためだ。
この学校は未だに点数至上主義を貫き通している。ここまでくればもはや称賛に値するかもしれない。
つまり、最後だからと気を抜いていると、容赦なく叩き落されるのである。
いくら卒業研究が成功に終わったとしても、出席日数が皆勤賞であったとしても、点数がダメならダメなのである。
考えてみれば、それは別段特殊なことではない。
長く居るだけに、もう慣れた。
嘘だ。
慣れるわけがない。毎度毎度、苦戦して精神をすり減らしているのである。
発狂することもしばしば有るのだから、テストというものは恐ろしいものである。
というわけで更新できないのであります。
と思ったけれど、別になんか僕もうそんなにやる気もないので、更新できそうなら更新していこうと思っています。
とはいっても、まぁ出来ないときは出来ませんけどね。
ではまた。
テストのTでした。
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日常
F
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2ex64D59360F
2011-02-14T23:02:55+09:00
2011-02-14T23:02:55+09:00
ろりつね
久しぶりにバイクの話。
春が近づくにつれ、路面のアスファルトも顔を出し始める。2月の半ばにして、少しだけなら、もう乗れそうだ。
そんな風に思いながら、バイクで走る妄想をして車に乗っている。
今はまだ気温が0℃以下だから、バイクに乗るにはまだ早い。
しかし、冬の間には完全に諦めていたバイクへの夢が、春になるにつれて少しずつ芽を出し始める。
久しぶりに、バイクに乗りたいと強く思う。
ここ最近、目をつけているのがCB-Fだ。
本当のところ、僕はホンダは好きではない。しかしそれは最近のバイクに限っての話で、しかも乗ってみるとやっぱり文句の付けどころはなく、所有するとしたら、ホンダは一番信頼できるんじゃないだろうかと思う。
「世界で最も頑丈なバイク、ホンダ・スーパーカブ」。
それはその通りだ。エンジンオイルの代わりに、サラダ油でも動くという噂だ。
しかし、一つ誤りがある。いや、誤りとは呼べないが、一つ、足りない。
「世界で最も頑丈なバイクを作るメーカー、ホンダ」
ホンダの底力は、地味ながら最後に見える。壊れにくいということは、それだけ愛されるということだろう。
もちろん時には失敗もするようで、NR750やCBX1000など、疑問符のつくバイクも時折見かける。
しかし、基本的には地味ながら秀でることが多い。
例えば2ストロークレプリカ全盛期のホンダ・ヤマハの闘争はNSR250とTZR250という形で現れたが、これもやはりホンダの勝利に終わっている。
それは今ではありえない、本気の勝負。HONDAとYAMAHAのHY戦争などと呼ばれ、毎年、最新最高の技術を惜しみなく投入してニューモデルを発売していた。
NSRは速い。速いし、他社に比べて癖が無いと言われている。それに異常ともいえる高機能とバリエーション。
カードキーだったりワークスと同じ構造だったり、左右非対称のガルアームだのホイール交換が楽な片持ちのプロアームだの、とにかくすごかった。
現代の400なんてメじゃない。
「ホンダは面白くない」とよく言われるが、扱いやすい特性と癖のない性質のその結果、速いのだ。
そしてなおかつ、頑丈である。
それ以上は望むべくもない。バイクにとっては乗りやすく、頑丈で、速いのは正義ともいえる。
ホンダには正義という言葉が良く似合う気がする。
警察車両もCB1300やVFR800など、白バイに多い。教習所でもCB400、CB750ともに多く見かける。
そしてそれはユーザーにとっては、やはり壊れないことが最大のジャスティスなのではないだろうか。
どんなに高価なバイクでも、乗るたびにどこか壊れていたのでは財布が軽くなるばかりだ。
今の時代ではそんなことは無いが、一昔前の外車なんてのは「トラブル」と同義語だったように思う。
そしてそれは古いバイクにもいえる。古いバイクというのは今ほど品質に対して厳しくなかった。
だから、例えば30年前の新品のバイクと現代の新品のバイクでは、スペックは言わずもがな、耐久年数も違うのだろう。
そこで、昔から頑丈で有名だったホンダのバイク。旧車のような20年30年前のバイクを買うのならば、そこのところはブランドが一つの信頼にそのまま結びついているように思う。
だからCBXはともかく、CB-Fは79~85年発売のバイクなのに、未だにタマ数が多く、程度も悪くない。当時ものすごい人気だったことも、現代の状況の一因だろう。
CB-750/900Fには初代FZ型、二代目FA、FB、FCと4種類ある。
僕はFZ・FA型の青×銀が好きだ。最高に好きだ。
コムスターホイールの。
FB・FC型になると、ホイールやエンジンが黒になる。黒裏コムスターと呼ばれるホイールだ。それは有名なレーサー・Fスペンサー風のカスタムではカッコいいと思うけれど、旧車はノーマルで乗りたい。そして、その場合でも黒裏コムスターはきっと別なホイールに履き替えることになると思う。
ちなみに同時開発されたCBXにも銀のコムスターホイール・エンジンと黒ホイール・エンジンがあるが、それも前者である銀が好きだ。
FZFAの青というのがなかなか見つからなくて、もし見つけたら買おうか真剣に悩んでしまうだろう。
ホイールも、ホンダは一時期コムスターホイールという形のを採用していたのに、82年ころからブーメランコムスターになってしまった。この画像をみると分かるが(http://www.bbb-bike.com/review/1994-bike.html)僕はこれが嫌いなのだ。インボードディスクブレーキも嫌いで、当時は流行っていたのだろうけれど、どうにも好きになれない。
CBX400はブーメランホイールにインボードで、足回りはやっぱり好きじゃない。しかしCBX1000は銀コムスターで、溝すら無いブレーキローターなんかが好きだ。
しかしCBXのタマ数は極少のうえ、程度もあまり良くなく、しかも高い。唯一無二のスタイルには憧れるが、現実的ではないような気がする。
何事も情熱があれば苦も苦にならないのだろうが、あまり神経質すぎるのもどうかと思う。
だから将来的にも、CBXはあこがれのままで終わりそうだ。
CB-Fならば、まだしも望みがある。
ところでCB-Fには750、900、1100があるが、基本的にベースは900だ。
だから750は900のストロークダウンになるし、1100はストロークアップになる。
エンジンとして、ストロークを小さくするのは問題ない。むしろCB-750Fの場合、ボア×ストロークがスクエアになって扱いやすくなる。
しかしベース車より排気量をアップする場合には、しばしば問題が発生する。
それはエンジンの強度的な問題であったり、様々な機器類のキャパシティの問題だったりして、一概には解決できるものではない。
だから1100Fはエンジン的に問題があるらしく、旧車初心者には向いていないのだという。
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日常
暇だから
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2ez64D57CEFA
2011-02-13T21:30:50+09:00
2011-02-13T21:30:50+09:00
ろりつね
結局休日なんて無かったようなもので、毎日学校に行ってました。
しかしながら、どうせいつもの休日であれば堕落して三連休を何もせず消費していたのだろうから、これはこれで良かったのかもしれません。
しかし帰宅しても暇だから、普段やらないのに絵を描いてみたりしています。
まぁ絵などと言っても写真を模写しているだけなのですが、それでもまぁまぁ楽しいかもしれませんね。
いや、楽しいわけじゃないんだけどね。
むしろ下手すぎてフラストレーション溜まりながら描いているのかも知れません。
絵を極限までリアルに描いたとしたら、それは写真と変わりありません。
今もそうかもしれませんが、「絵が上手い=精緻」ということになるのでしょうか。
現代では逆に、写真を絵風に加工することまで行われています。
昔は希求されていた精緻な画像を、わざわざ情報量を減らして乱雑にするのはなぜでしょうか?
それはもしかしたら、「人間らしさ」のようなものが好まれるからかもしれません。
絵には「絵の温かみ」のようなものが求められているのだとしたら、必ずしも写真のようにリアルである必要はないですね。
むしろリアル過ぎる絵は、機械的で冷たい印象を与えるのでしょうか。
ネットで言う「絵師」とは、キャラクターを可愛らしく描く人のことを呼ぶのだと思います。
もちろんそれには現実世界のような人間とは違うようなキャラクターが描かれていて、例えば等身が低かったり、目が大きかったり、髪の色が鮮やかだったり、そういう意味では現実の人間とは似ても似つかないわけで、「リアルさ」とは程遠いのです。
もちろんだからといって見る人が変に思うような不自然な部分は無いし、全体のバランスは見事にとれている。
リアルとは程遠くとも、基本的にはかなり上手い人が多いと思います。
前提として絵の塗り方なんかは、上手い人とそうでない人でかなり差が出る部分だと思います。
その他に、人物以外の描写にも、それは現れることが多い。建物とか、乗り物とか。
ネットで言う「絵師」は、絵が上手い。しかしリアルではない。
現実的に見れば異常ともいえる構造であることも多々ある。なのに絵が上手い。
そう納得させるに足る「何か」が、絵師にはあるのではないかと思う。
その「何か」はつまるところ「バランス」なのではないか。
例え二頭身でも、納得する絵はしてしまう。上手い人は上手いし、下手な人は下手です。
色の塗り方も関係ないような白黒画像でも、その違いはなぜか現れる。
「線に現れる自信」も一つの要素ではないかと思います。
だれだって、描きなれている絵はすらすらと描くと思います。
そういう絵の線は滑らかなのに、初めて描くような絵の線はガタガタだったりする。
まぁ絵の上手い人は初めての絵でも基本的にすらすらとした線なのですが、下手な人の線はどんな絵でもガタガタしているような気がします。
まぁ僕は言うほど絵も描いていないので「線がガタガタ」とか言う前にちゃんと描けてないのですけどね。
「バランスが悪い」というのであれば、それは当てはまると思います。
でもバランスが悪いのは、逆に言えば下手だからであって。
つまり、バランスが悪いから下手なのではなくて、下手だからバランスが悪いのです。
だって、練習もしないのに勝手にバランスが良くなって上手くなるわけがないじゃない。
練習して上手くなって、バランスよく描けるようになるんじゃないでしょうか。
いや、そんなこと言っても練習するほど描いてないのですけどね。
ではまた。
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日常
病気
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2e6C4D554D33
2011-02-11T23:52:35+09:00
2011-02-11T23:52:35+09:00
ろりつね
喉が痛いです。異常です。
通常であればすでに直っているはずの喉なのですが、一向に引く様子もない。
徐々に痛くなって徐々に引いてゆく感じじゃないんですよね。
ずっと痛い。しかも痛みも弱くならない。
もう何か刺さってるんじゃねぇかってくらい変わらない痛み。変わらないクオリティ。
しかも左側だけなんですよね。
まぁこれで両側ともこの痛みだったら、僕は死んでますけどね。
痛すぎて食いたくないもん。
片側だからまだ助かってるけど、それでも痛いものは痛い。
これ風邪なのか?
風邪の症状的には、もうあと咳がちょっとあるくらい。
なのに喉のは風邪の全盛期くらいの痛み。
本当は風邪じゃない説、浮上。
いっくらビタミンとか摂っても一向に良くならないんだよなあ。栄養ドリンクも無効だったし。
イチゴ食っても直らんし、グレープフルーツジュースも無駄。
うがいしても意味ないし。喉のスプレー薬も全く意味なかった。のど飴とかも意味無し。風邪薬も全く効かないし。
でも鏡で見ても、痛みの割に悪くは見えないんだよね。
これくらい痛かったら見て分かる症状があると思うんだけど。
本当に風邪なのかね。
病院嫌いなんだよなあ。
というかそもそもどこに病院があるのか分からん。誰かつれてって。
ではまた。
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日常
自分と影響
tag:tntn.btblog.jp,2011:kulSc2eEK4D53F9E5
2011-02-10T23:44:53+09:00
2011-02-10T23:44:53+09:00
ろりつね
カウンターを見ると全盛期の1/8くらいしか人が来てないような気もしますが、これ実は、別に減ってる訳じゃないらしいのです。
アクセス解析の方を見てみると、更新が途絶えた後とその前で人数に違いがありません。
むしろ、カウンタの方の値がより正しくなったと言えるのかもしれませんね。
嘘でもいいから人が来てくれるのはうれしいんだけどね。
人は、どれだけの人に影響を与えられるだろうか。
人は、どれだけの人に影響されるだろうか。
或いは、人は出会った人の数だけ影響し、されるのかもしれない。
友達が百人出来るのは凄いことだと思う。
人は、どれだけの人に出会うだろうか。
出会うだけで影響されるのなら、友達に与え、与えられる影響はどれだけ大きいのだろうか。
人に小さくない影響与える人。そういう人が与える影響は、一人だけではなく、きっと大勢の人に与えられるのだと思う。
影響というだけならば、そこに善悪は存在しない。
人を助けるのも、人を殺すのも影響は影響だ。
そしてそれは決して別な存在ではない。
人を助けた善の影響が、人を殺す悪の影響にもなりうるのだ。
しかし皆、悪の影響からは限りなく逃げたい。自ら近づく人は、居ない。
一人の悪の影響は、集団には届かない。
逆に、善の影響に、人は寄ってゆく。
一人の善の影響は、集団に届く。
だから一人の善の影響は、受けやすく、帯びやすい。
影響を帯びた集団は、帯びたまま個へと帰す。
個は影響を受け、自分を形成する。
あるショックなことがあった。とてもここには書けない。書くことが出来ない。今でも茫然自失としている。
ここ最近あったなかで、ショックというならば何よりショックだった。
思わず誰かに話したくなってしまうほどの。
しかしそれは、影響を受けた僕だから、同様に受けるショックなのだ。
誰に打ち明けたところで、そこに意味はない。
無意味以下の、形容できない何か。
だからこれは、人に話してはいけないのだろう。
ショックと連呼すると安っぽく聞こえるが、これは何にも形容できない。
影響を受けた人が云々というのなら、アベフトシが死んだときも、忌野清志郎が死んだときも、大層ショックだった。
清志朗は未だに死んでないと思っているくらいだ。
しかし僕は、ミュージシャンとしての彼らを知っていても、個人としての彼らを知ってはいない。
アベフトシがどんな性格でどんな話し方でどんな目つきで、他の人にどんな接し方をしていたのか、知らない。
端的に言えば、僕にどういう風に接してくれたのか、僕とどんな話をしてくれたのか、僕は知らない。
それは当たり前だ。僕はアベフトシに会ったことは無い。この目で見たこともない。僕にとっては、映像の中の人だ。
だから猶更、アベフトシや清志郎が死んだとは思えない。
動いている彼らを見たことはあっても、生きている彼らを見たことは一度としてないのだ。
生きていないから、死んでもいない。
そういう人が人々に与える影響は大きいかもしれないけれど、それは生きている影響なのだろうか?
いや、逆に大きすぎて、人の進む方向を決めてしまうほどの影響は、「そういう人たち」からしか得られないのではないだろうか。
今回のショックで、僕が人から受けた影響は、それほど重要なものではない。
数えきれないほど出会った中の、数えきれないほど話をした中の、少し数えられるほどの面識の中の。
人の芯は、人から影響を受けてぐにゃぐにゃと曲がる。それは薬になるし、毒にもなる。
けれど、決して無駄にはならないという。
却って、人の影響を全く受けずに育った真っ直ぐな芯というものがあるなら、それはきっと誰にも影響を及ぼすことはないのだろう。
グニャグニャと曲がった芯がとなりの植木鉢に当たって、隣の植木鉢に生えている芯が曲がったり伸びたりするように。
じゃあ自分って何だ。
影響を受けてぐにゃぐにゃと曲がった芯が自分だというのなら、自分に自分はどれだけの影響を与えられたのだ。
ぐにゃぐにゃと曲がった芯である自分を形成したのは、影響を与えた人物なのではないか?
自分の形成は他人によるもの。自分こそは他人が作りし人。
じゃあ他人って。
他人って、自分が作り人なのかも知れない。
それは影響の話ではなく、先入観と独断と偏見と決めつけという意味で。
いや、ある意味では影響の話だ。
自分が作りし人、他人。
他人から影響を受ける自分。
その影響すらも、自分がつくったものなのではないか?
自分が作り出した妄想や空想の産物なのではないか?
良い人から受けた善の影響。
良い人と決めつけたのは自分で、善と決めつけたのも自分だ。
更に言えば、影響を勝手に受けるのも自分だ。
人に影響を与えようとして与える人間はいない。
じゃあ自分って、自分が作った他人が及ぼしたように見える影響に影響された人、なのだろうか。
僕の思い描くすべての人は、僕が決めつけただけの人に過ぎない。
本当はもっと違うかもしれないのに、その様にしか見えない。
思い出の中の人はさらにそうだ。その決めつけは修正されることなく、一部を見てその人のすべてを知った気になって、その人はそのままであり続ける。
良くも悪くも、それは仕方がないけれど。
影響は結局、自分が自分に与えるのだ。
ではまた。
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日常