やる気を出すために。その3 やる気を出すには。 |
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| どうも鳩屋です。いい加減このIMEも鳩屋で一発で出て欲しいと願っているのですが、僕の声はどうやら届きそうにありません。
本日はバンドの練習がありました。
ドラムの彼が練習直前に消失しました
いまだに音信不通。前々から風邪だといっておりました。彼の身の安全を願うばかりです。
急遽として生ドラム初めての彼を代役に立て、「バンドで合わせる」というよりほとんど遊びになってしまいましたが、まあいいのです。ライブもないし、そもそも遊びなのだから。
そんなことばかりやる気が出てしまって、本業のほうを疎かにしていては本末転倒。
レポートだってやり始めるまでが億劫なのであって、始めてしまえば「やらなきゃまずいのに…」と考えている時間よりも短い時間で終わる。 といいつつも未だに手をつけていないに等しい僕は駄目だろうな。 今日だってノートを取らずに寝ていた僕は駄目だろうな。
やる気を出せば、基本的には何でもできる。行動するだけなら、結果を伴わないからだ。 高所からバンジージャンプするのと、僕がレポートを書く、というやる気はもちろん違う。 しかしその行動の根底にあるのは「俺はこれをやる」という意思であり、その意思にたどり着くまでに必要なのが、バンジージャンプであれば勇気であり、レポートであれば根気、というほどの大げさなものでもないかも知れないが、そういったやる気+αである。
人間は欲望に忠実である。それが本能なのだから。 つまり、人を動かすには欲望を掻き立てることがもっとも効率が良い。 奴隷を恐怖で従わせるのもひとつの方法かもしれないが、恐怖だって、欲望のひとつの顕れであるといえる。
恐怖というのは、身の安全が脅かされたときに感じる人間の本能である。保身というのは、身の危険→安全でいたいという欲望。痛いことだけは避けたい、つまり、より嫌な事を避けるためにする嫌なことというのは、本能に勝てないというわけだ。
だから、人を動かすには本能、つまり欲望を掻き立てるのが一番だ。犬だって、訓練には欲望をくすぐってやるわけだ。
そしてこれを取り入れれば、人は自然とやる気を出すに違いないのだ。 なにも恐怖がすべてじゃない。純粋な欲望だって構わない。ただし、純粋な欲望で釣るには金や物などの資本がいるが。
これを自らでやれば、きっとやる気が出るに違いない。 自分で自分に賃金を出すことはできないから、最も簡単なことは「これが終われば○○できる」という制約を設けることだ。 ただし、自らに制約を設けることは本能に対する自分の理性がいかにしっかりしたおつむを持っているかだ。
「これを終わらせるまで○○できない」状態にするのは、実はむずかしい。
例えば○○がパソコンだった場合、電源ケーブルを隠すのがもっとも手軽だ。 しかし、自分で隠しては意味がない。そこで誰かに隠してもらう。 しかし彼はパソコンがやりたい。やりたくてやりたくてしょうがない。こうなった場合、彼は与えられた課題をやるだろうか。多分、素直には取り組まないだろう。ここで素直に取り組めるのならば、自分で自ら律することができるからである。 結局、彼はなんとかして課題をクリアすることなくパソコンをする方法を考える。 隠した人に「終わった」と嘘をついてもいいし、隠されたなら探し出してもいいわけだし、或いは新しく買ってもいい。
だから、「これを終わらせるまで○○できない」というのは難しい。
こうなってしまうと、もう多分駄目だろうな。
そして「これを終わらせれば○○できる」と自分に言って聞かせる。大差ないように思えるが、実は違う。「終わらせなければ○○できない」というのは否定だが、「終わらせれば○○できる」というのは肯定だ。こちらのほうが軽度の強制ではあるものの、人の心を上手くくすぐる。
こうしたほうが、人の心は自然と物事に向かうのではないだろうか。
僕の場合だと、「レポート終わらせたらベース弾ける」に置き換えるといいかもしれない。 しかし、レポートは長大である。今既に、ベースが弾きたい。同時に寝たい。 レポートは最短なら2日程度だろうが、締め切り1週間前に余裕があるのに全力で終わらせるのは馬鹿馬鹿しい。
本当に理想的なのは「1日分」てのがあれば効率的だろうけど、レポートってのはそこまで上手くできていない。予めに書く量が把握できないのだ。
ではどうするか。 時間で決めたらどうだろうか。といっても、一日でレポートに費やすことのできる時間は日々変動する。決まった時間は使えない。
その辺は、まあ「適当」にやるしかないのだろう。なにも飯も食わずにやることはない。 まあ、そこまでの欲望に勝てるくらいなら初めから実行しているのだろうけれども。
まあ所謂「飴と鞭」に近いものがある。自らを戒するのはなかなかに難しいだろう。克己という言葉のとおり、己に克つ他にない。 飴も鞭も持ちながら、自らを鞭で縛り、飴をなめる。 なんというマゾヒスト。しかし鞭で叩くのではない辺りは真性でないことが窺える。
要約すると
やる気の臨界点=やる気+欲望
ここでいう臨界点は、これ以上やる気が出たら行動にでる点であるが、生憎「やる気」というものは数値化できないものであるから、便宜上のものである。
ここ数日でまとめた結果 「平穏を生きるためには、追手を撒くことが第一」 「欲望を餌に自らを釣れ」
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2009年4月27日(月)22:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
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