書きながら考えた、やる気を出す方法について。 |
|
| はい
どうも鳩屋です。
相も変わらずIMEは馬鹿の子ですが、まあ気にしない方向で。
今日は久しぶりの土曜日、ゆっくり寝たよ。 その後が色々何がなにやらですけれど。
実際、うちは居心地が良くない。いづらいのではないけど、本当にリラックスできない。心のそこから。
すべきことは沢山ある。時間もある。ここまで揃ってるのに、たった一つ。やる気がない。 これがすべてだ。
大声を出して泣きたい気分だ。自分が何をしたいのかわからない。 カラオケ行きたいのは確かだ。だが将来的に目標がないから、ただ漠然とそこにいるだけ。 これじゃやる気も出やしない。
さーて、10時前か。そろそろレポートやらなきゃまずい。まずいのは分かってる。 なんでまずいかっていうと、理由は明白だ。 詰まるところ、単位が取れなくなるから。
しかしこれは本来あるべき形じゃない。今は何より「単位」が一で、二はない。 そして僕は今そういう状態。
目的のないマラソンのようなものか。
なぜマラソンをするか。それは「走りたいから」というのが大前提にあって、それから目標である「タイムを縮める」とか「完走する」とかになる。
そもそも「走りたくない」のであれば、マラソンしない。 昔、学校でマラソン大会というのがあった。一応強制参加ではあるものの、参加しなければ退学とかそういったものではないから、参加はするがサボる者も当然いた。 そしてそれは至極当たり前のことで、走りたくないから走らない。
つまり今の僕はそういう状態ということだ。 しかしマラソンのように、走りたくないからといって歩くことは許されない。しかしだれも強制などしない。強制されないが、やらなければならない。これは矛盾でもある。
ではどうするか。 これはマラソンする気になるにはどうすればよいか。この問題と同じだと考える。
僕は自慢じゃないが運動は苦手ではない。しかし、好きでもない。 昔、ある競技をやっていたが、それは好きだった。言ってしまえば、マラソンと限りなく近い。 その競技とは、自転車である。ロードレースも、クロスカントリーもやった。それなりの成績も残した。
その経験をもとにすると、なぜ好きだったか、分かるかもしれない。
好きだった理由は、その速さにあったと思う。競技用自転車は、プロが漕げば100km/hを超えることもある。僕は74キロまで出したことがあるけども。
うん…マラソンにはないなぁ。 走るのは苦手で、苦手だからこそ運動したくない。そして運動しないから体力がなくなり、もっと運動しない。そうやってだんだん運動しなくなっていった。
論点がずれた。 楽しさを見つけるんじゃなく、見出すことが重要だ。
実際、学校生活は楽しい。他の人よりは好きなことやってると思うし。 だが授業のやる気とは違う。授業に楽しさを見出す為には。
そもそも授業はつまらないものであるべきじゃない。 つまらなくするために授業するのではないし、苦痛を与えるために存在している訳でもない。
ただ、どうしようもなくつまらない授業というのは存在してしまうのは事実だし、これに楽しさ見出すのは至難の業だと思う。
それは僕にはまだ敷居が高いので割愛することにする。
とりあえず今は、どうすればやる気が出るか。「何の」やる気かってのも判然としないから、「何故」より、「何の」やる気かを明確にすることが重要かもしれない。
よくよく考えてみると、ここで「なぜやる気がでないのか」論じてみたところでやる気が出るかと聞かれたら、イエスとは言えない。
だから「何の」かだけ明確にしようと思う。 えーと…なんだろうなぁ
レポート?テスト?勉強?授業?学校?生活? うーむ、どれもだなぁ。
困った。これは困った。
言い知れぬ不安に襲われる。時間は刻々と過ぎる。月曜にテストが待ちうけ、水曜にはレポートの締め切りが待ち受ける。そして常に締め切りであるといって過言でないのが鬼畜レポートである。
そういったものに追われていると、やる気が出ずとも不安になる。不安になるというよりは、不安感に襲われる。文字通り「追われている」ように、平穏が訪れることはない。
平穏を過ごす為には、追っ手を撒けば良い。追っ手というのはもちろん締め切りのことである。つまりはレポートならレポートを終わらせること。そうすればその分の平穏を過ごせるわけだ。
労働に見合った代償。形のあるものではなく、心の代償。 そういう考え方もありか。 マクロ的な見方ではなく、もっと範囲を狭めれば考えやすい。 巨視的に見れば「何のために学校にいるのか」「誰のためにやっているのか」わからなくなる。しかし短期間で考えると、「締め切りを満たすために」「不安を拭う為に」する。そうなれば、結局自分のためにやっていることにもなる。
結局自分はは自分のために行動を起こす。だから自分のために、という理由をつける。納得するにはそれしかない。
今回は、自分で少し納得できた。これは大きな収穫だといえる。
やたらと長くなってしまったけれども、ひとまず一件落着ということで。
そうでもしなきゃエンドレス。
ではまた。 おやすみなさいませ。
| |
|
2009年4月25日(土)23:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
|