君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


負け戦

はい。


昨日の朝飯はパン一つ。
もちろん、活動的な僕のことで足りるわけもなく、二時間もすれば腹がぐうと鳴る。

昼まで耐えあぐねた挙句、昨日の僕の昼飯はクッキー十五枚。いや、一枚取られたから十四枚である。

そんなもので過激な僕の一日を凌げるわけがないから、帰宅して寝る。
米を炊かずに床に就けば、当然ながら晩飯はない。


腹が減りすぎて、もはや減っているのかも分からない状態で迎える朝は、気持ちが悪い。
幸せな夢から目覚めれば、時間はすでに出立の二十分前。当然、飯を食う暇などない。


学校について、せめてもの、と思い持参してきた小さなミカンと板チョコ一枚。

まるで遭難者のような気分を味わいつつも、食わねば待つのは死あるのみ。

ミカン。美味である。ビタミンCだかなんだか分からないが、文字通り身体に染み渡るようですらある。
板チョコは、確かに美味いが腹に入れると気持ち悪くなった。


耐えあぐねた僕は、昼には贅沢をして、一年に一度利用するかしないかの学食にて済ます。
カツカレーである。

空腹は最大の調味料というが、あれは違う。
いや、似てはいるが、調味料というには、あまりにも足りないのである。

しかし、僕は他に喩える術を持たないから、言葉にすることはできない。



で、さすがに今夜は僕も、米を炊いたわけである。
米を研ぐのが辛い。無洗米って便利そうだ。

しかし無洗米は、謂わば日本人の伝統とも言える「米を研ぐ」ことすらも放棄することになる。
伝統も日常に入りすぎると伝統とは言えないかも知れないが、白米を得るには米を研がねばならないのは事実であるし、これは当然にして米を食べる習慣が始まった時分から、脈々と続けれれる伝統とも言えなくはないのである。

しかし寒いから米を研がない、故に米を食わない。そちらのほうが問題な気はする。



米が無いならパンを食べればいいじゃない。

主食に出来るほどのパンも無いのである。
朝は、食っても二時間も持たないと分かりきっている食パンを一枚くう時間しかないし、時間があっても満足するだけのパンなど何枚になることだろうか。



今日はこの寒さを耐え忍び、米を炊いた。
部屋の気温は八度である。

米を炊いたはいいものの、肉もないから納豆で食う他にはない。
それと、寒いのが極端に苦手な僕は、八度という寒い居間には行きたくないので、未だに米を手中に収めてはいないのである。



しかし、あのカレーを思い出すと、口の中に溢れる唾液。
僕はカレーも食いたいが、面倒なので納豆にする。




食わないと、スタミナが無くなるから、眠い。
眠いと、面倒くさいから、飯を食うのも面倒だ。

という悪循環なのである。だから多少無理してでも食べるべきなのである。
しかし、そう、寒さが邪魔をする。夏であれば何の問題もなく米を炊き、肉を焼き、なければ買い、キャベツを切り、とにかく調理してまで食うこともある。

腹が減ったら、普通は食いたいだろうから、自ら作る、というのは自然な成り行きである。
しかし悪循環に陥っては、これも立ち行かない。


このままでは何れ破綻してしまう。
まずは陳腐な倹約精神を捨てて、「腹が減ったら食っても良い、いや寧ろ食わねばならぬ」という考えを根本的に持ってこなければならない。


とにかく納豆でも何でもいいから、これから晩飯を食うことにする。
そのあとは徹夜でレポートを書くのだ。

ではまた。



2009年12月11日(金)00:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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