君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


至高の嗜好

はい。

ちょっと思ったのだが、最近は忙しくて幼女幼女と言ってない気がする。
別に言う必要性は皆無なのだが。

ここのブログは、多分僕の知人が見ているかもしれない。
時折メンヘラ(精神病的な)な文を書くときと、幼女幼女と連呼する記事と、バイクとか音楽の真面目な話をする記事が多いと思う。

メンヘラな文を読まれるのは別にかまわない。
しかし書きたい訳ではない。

もちろん真面目な文章は、むしろ読んでもらいたいくらいだ。
読みやすいように書いているつもりでもある。


しかし幼女の記事というのは、実は当ブログにおいて少数に過ぎないのをご存じだろうか。
また、実は幼女の記事はあまり書きたい訳ではないのである。
僕が幼女好きだと思われるのは仕方が無いけれど、僕は別に幼女でなければならない理由はないのである。

こう言う名前のブログだから誤解されるのかは分からないけれど、書いている内容は至極真っ当なのだ。



現実世界において――きっと冗談に違いないのだが――僕を指して「変態だ」と言うひとがいる。

しかし僕は否定する。僕は変態ではない。
僕が考える変態というのは、一種の天才なのである。

変態と言うのは、もっぱら性的嗜好が一般と異なる場合において用いられることが多い。
そういう意味では変態であることは否定しないが、残念ながら僕を指して言う「変態」はそういう意味でないことは明白である。


上述したとおり、僕が考えている変態は一種の天才に近いものがあり、勉学以外で人と大いに異なることが変態だと思う。

僕は人と同じということが嫌いだ。
日常の些細な事なら問題ないが、多少の損をしてでも他人と違うことがしたい。

例えば僕の体脂肪率は8パーセント程度だが、別に筋肉隆々というわけではない。極端に痩身なのである。

理由は単純で、『他人と違う服飾ができるから』。
超細身の28インチのスキニーを掃いて歩くのが好きなのだ。
だから体重を増やそうと思えばできないことは無いが、そうすることで他人と同じになるのなら、僕は絶食でも出来る。

上の例えはちょっと特殊だが、とにかく人と違う事が、僕は最も素晴らしいと考える。
そういう僕にとって、「変態」というのは褒め言葉であり、つまり他人から「おまえは人と違うな」と認定されたも同然なのである。

だから僕は、冗談で「変態」という言葉を使われるとあまりいい気はしない。
僕に対してならまだ褒め言葉に変換されるから良いとして、割と普通の人間に対して、ちょっと特殊な部分があるとすぐに「変態だ」というのは、変態に対する侮辱に当たるのである。

変態と言うのは即ち、

・他人と同じ事はしない。
・やるならやるで、また違う結果を出す。
・とにかく異質である。

ということが重要である。
ベーサーは在る意味それを体現した者で、普通の真っ当な人間ならギターを弾くところを何故かベースを弾いてしまう。

ただベースを弾くだけではただのベーシストだ。
しかしそれの動きが尋常じゃなかったり超絶的なテクを身に付けてしまうと、それはもうベーサー、すなわち変態になってしまうのである。

少数派を極めると、変態に昇華するのだ。


ただし、僕はまだ変態ではない。
変態というのは、ただ「人と同じであることを嫌がる」というだけでは駄目なのだ。

「人と同じであることを嫌がる」のではなく、「人と異なる」ことが大切なのだ。

例え嫌がったところで、人間である以上はルールに則って生きてゆかねばならず、例えば街中で全裸になるという行為はルール違反である。

それと、全裸になるから変態というわけでもない。

――知ってるか?
全裸になる奴は3つに分けられる。

単純にウケ狙いで面白い事をしたいだけの、低俗な奴。
全裸を人に見られるのが好きな奴。
脱ぐことを楽しむ奴。


ちなみに僕はウケを狙うのも含めるが、それ以上に「脱ぎたいから脱ぐ」のが理由だ。
1つ目と似ているが、明確な違いがある。それは、脱衣が目的か、手段かということだ。
1つ目は論外も論外である。
脱げばウケるなどという考えは稚拙にも程がある。手段として用いる脱衣は、それ単体では面白くも何ともない。だから低俗なのだ。

ましてや全裸になりたい訳でもなく、「変態になりたいから」脱ぐという輩もいる。
しかしそれは間違いだ。根本的に間違っている。

「変態になりたい」と思っている限りは、絶対に変態にはなれない。


変態とは、抗えないもの。つまり、無意識だ。
無意識である以上、変態は変態になろうとしてなったわけではない。

気が付いたら変態になっていたのだ。
いや正しくは、『気が付いたら変態と呼ばれていた』という。
変態の嗜好はあくまでも、自分の中では正当な思考なのだ。
自分が世界に一人だけだったら、彼は自分が変態だと気付くことはない。

彼の周囲に、彼と違う嗜好を持った人間が数多くいて初めて、彼が自分で変態なのだと気づかされるのだ。

変態はマイノリティの中でも、さらに異質な者。
『マイノリティ・オブ・マイノリティ』であると考えても良い。


変態を目指すのは良いが、人と違う事を求めた結果として「秀才」として扱われることの無きよう。

人と違う事をして「良い結果」をもたらした場合、人はそれを秀才という。
人と違う事をして「悪い結果」をもたらした場合、人はそれを阿呆とよぶ。

人と違う事をして「最高の結果」を叩きだす場合には、人はそれを変態と呼ぶ。


あえて一つ例を挙げるとするならば、GSX-1300Rを成果とした会社である。



2010年4月21日(水)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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