ツイッターの使い方?/全裸の渡り鳥 |
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| はい。
またちょいと更新休止になるかも知れません。 って書くと更新休止になるよね。
まぁ今回はすぐに復活しますので、ご安心を。生きてれば。
さて最近なんだか良く分からない、ツイッターの使い方。
要するに、 ・つぶやく ・誰かが見る、誰かのを見る ・趣味が会う ・結婚する
という程度のガジェットなわけです。 今までは特定の人間と一定の繋がりを持つには、ホームページを持っていて、リンクという形でつながる必要がありました。
リンクをする以上、管理人がリンク先或いはその管理人のことを気に入ることが重要なわけです。
まぁ今や大抵のサイトはリンクフリーですが、それでも「リンク張らせて頂きます」といった報告はします。 つまり、双方合意であることも重要です。
それを「リンクだけを主眼においたもの」が、ツイッターです。
ツイッターでは一方から勝手にリンクを張る=フォローすることができます。 フォローすると、フォローされた人は発言が駄々漏れになります。 それが嫌なら「ブロック」しますが、されると凹みます。
相手がフォローしていても、こちらがフォローし返さない限り、相手の発言は自動的には見えません。
だからリンクの以前の形式である、双方合意の上でリンクを張るということが出来なくなったことで、無秩序になったとも言えます。
ただ昔だって、リンクフリーとはいえ、「リンクしますね」と言われた先がエロサイトだったら、なんだか複雑な気分ですよね。
だから断ることは勿論できます。ツイッターでいうブロックがこれに当たります。
しかし「リンクを張る」のはあくまでも管理人ですから、それを阻止することはできないんですよね。どうように、フォローすることを阻止は出来ません。
ところで、リンクを張る=フォローすることの意味ってなんでしょうか? なんだか僕は最近、それが悩ましいのです。
ホームページが互いにリンクを張る場合ですが、それは似たようなコンテンツが含まれていて、管理人や視聴者がそれらの情報を求めるからです。
つまり、情報が散乱しているより一緒になっていた方が分かりやすいということもあります。
もちろんそれはあくまでも「意味」だけです。 他にも親近感が湧いたとか人柄にほれたとかリアルで友人だとかっていう「事情」は有りますけどね。
ではツイッターはどうか。 ツイッターは母体となるホームページが無く、リンクがメインとして機能しています。 つまり、繋がることでのコンテンツ上のメリットは存在しえないわけです。
あるのは「事情」のみ。 個人的に好きだとか、この人の思想を知りたいだとか、この人から認知されたいだとか、そういうことです。 もしくはホームページがブログになったように、ブログがツイッターになったというだけなのかもしれません。
仮に、ホームページにおけるリンクの意味が100%、ツイッターでは0%としたとき、ブログでは50%と言ったところでしょうか。
ブログはツイッターと違い、コンテンツがあります。 コンテンツがあって、視聴者が居て、そのコンテンツおよび管理人の思想等が気に入って、リンクが発生するわけです。 そういう意味ではホームページに近い。
しかしながらブログとホームページの違いは、ホームページはコンテンツの明確な目的があるのに対し、ブログにはそれが無い場合が多いです。 逆にいえば、コンテンツの目的があるブログは、ホームページにした方が整理され、利用する側としては便利なわけです。
コンテンツの明確な目的というのは、ほかならぬ「情報を発信する」ということです。
情報を発信するという不動の目的がある以上、煩雑で分かりにい情報を提供したいとは、だれしも思わないでしょう。 だからこれらの目的があるならば、ブログで書きっぱなしにするよりも、HPでコンテンツ化したほうが双方にとって希望が叶うわけです。
さて話を戻します。 明確な目的のないコンテンツ、というのが、ここでの本来のブログの定義です。 その点から見れば、ブログはツイッターにもごく近いものだと言えます。
ホームページとツイッターの、両方の性格を持ったものがブログだとするならば、ホームページはブログを生み、ブログはツイッターを生んだと考えるのが妥当でしょう。
さて繋がることだけをメインに据えたツイッター、コンテンツなきリンクに何の意味がありましょうか?
というのが僕の疑問です。
ただ、疑問に思うだけで悪いとは全然思いません。 こういうネットこそが、ネットの進化の形だと思うし、この先はもっともっとパーソナルなネットが進化してゆくことしょう。
突き詰めて言えば、結局ネットでも人間は独りぼっちが嫌なんでしょうね。
もともと一人しかいない世界では、孤独など知らない訳です。 それが10人の世界になったら、まとまって暮らすのが人間ってものですからね。
それだけ、ネットが日常で不自然な場で無くなった、ということでしょうか。
ではまた。
東京は今頃、梅雨か・・・ 5月に行った時点で蒸してたのに、アレ以上は想像できないぜ
夏は北海道が素敵。
渡り鳥になりたい。
夏とともに北上して、冬とともに南下するんだ。
上手くやれば全裸でも快適だよね!
っていうかいつだって、服着てたら不快だよねぇ。 そりゃ定置に住むなら寒暖の調節には必要だけど、日本の気候には全くそぐわないのにね。
民族が長年かけて適応させて、もっとも快適な服装というのがそれぞれの風土にはあるわけで、それを全く棄てて欧米の文化に縋りつくのが、必ずしも正しいこととは言えないと思います。 それどころか日本という風土に、まったく不適なものを無理やり導入するのはナンセンス極まりない。
自然淘汰という言葉があるように、不適な物は消えて無くなるのが自然の掟。
それならばスーツなどという莫迦げた儀式衣装も淘汰されればいいのに。 アメリカとかでは適してるかもしれないけどさ、日本の夏はやっぱり甚平とかだよね。
ではまた。
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2010年6月18日(金)22:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
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