Thank you Rockers, I love you Baby. |
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| 2009年7月22日。 流れ星みたいにゴージャスにカッティングをキメて、誰にも気づかれず、彼は消えていった。
1年後の今日は彼の一回忌だ。未だに実感はない。 考えてみれば、それはごく当たり前の話なのだ。
僕は彼を見たことが無いのだから。
『小さい頃からの熱烈な』とか『古参の』とかいうファンではないけれど、僕も彼の音に魅せられた一人だ。
彼自身を見たことはないけれど、『確かに本当に』、彼は音の中に実在した。
いや、逆に見たことがないからこそ、その存在がいなくなってしまったことが信じられないのかも知れない。
人の死と存在の死はまた別で、人が死に、誰からも忘れ去られたとき、そのときに存在が死ぬ。それが本当の死だ。
僕の中では、彼の存在は生きている。 きっと彼を知る者の中では生きているのだ。
だから、彼を知る者がいる限り、彼はどこかでカッティングを刻み続けるのだ。
はい。
最近はギターが楽しいですね。 手持無沙汰になったらずっと弾いてます。
といっても1曲の練習をひたすらしてるだけなのですがね。 次第に出来るようになってきた。気がする。
『ゴールド・トップのテレキャスターが欲しい』ってずっと思ってるのですが、なかなか無いですよね。
フェンダーカスタムショップ製で50万円くらいのが売ってるのですが、さすがに手が出ません。 例え誰かが僕にくれても拒否します。勿体なさすぎる。
ゴールドトップじゃないとダメなのです。他の色だとノらないんです。
一番手っ取り早いのはオーダーというか、ペイントですね。 でもオーダー物だと色を変えるだけなのに2万プラスとかになって、なんだか割高感。
まぁそれで音が普通に良いなら、50万円だして最高級クラスのを買う必要はないですよね。
僕は物に対して、愛着は湧くけど愛情は抱かないんだと思います。 つまり、物持ちはいいけど、扱いは普通なのです。
スティングレイも弦は張りっぱなしだし、スタンドに立てかけっぱなしですよ。楽器に悪いです。
確かに高価な物やレアな物というのは、それなりの扱いにされても不思議ではありません。
しかしだからといって使われないのは、物の機能に対しての価値を下げているようなものかも知れません。
ストラディ・バリという何千万もするバイオリンがあります。もちろんバイオリン自体もヴィンテージで稀少なものですが、それ以前に「音という楽器としての価値」に金を払うわけです。
いくら1千万円のストラディ・バリだろうと、弾かれもせず飾られるだけのバイオリンなら楽器としての価値はないことになってしまいます。
まぁだからっておいそれと扱えないのが困りものですが。
『使えば減る』とか『使用の寿命がある』というものは本当に困ります。 使いたいけれど、使えない。
例えばヴィンテージ物の酒。飲めば減りますよね。しかも時代を経れば経るほど価値が上がるという。 しかし酒は飲むのが価値ですから、それを忘れては本末転倒ですよね。 非常に厄介です。
また、旧車なんかもそうです。 今はもうありませんが、2ストロークエンジンを積んだバイクなんかはプレミアが付いています。
しかし2スト車は現代の4スト車に比べて寿命が短い。乗れば乗るほど寿命に近づくのです。 そして高回転で運転すればするほど寿命は短くなる。
バイクの機能としての価値を取るか、物としての価値を取るか・・・厄介です。
極度の面倒臭がりということもありますが、「日常を超える範囲での手入れ」は面倒くさがります。
例えばバイクを買ったとしたら、拭き掃除くらいはするかも知れませんが、磨くレベルには至らないと思います。
だから上に書いたように、50万円のギターを買っても、弦を毎週とりかえるというような極端な扱いはしないでしょうね。
そんな僕には廉価版がお似合いなのです。 腕的にも。
ゴールド・トップのセミオーダーならFgnかTokaiが安くて良質っぽそう。 まぁまだ先の話でございます。
でもアコギの生の音も良いんだよなあ。ストロークのときのピックが弦にあたるシャンとした音なんかは、PUじゃ出ない音ですからね。
理想の一本というのは物理的にも金額的にも難しいようです。
ではまた。
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2010年7月22日(木)22:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音談義 | 管理
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