君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


妖怪

はい。

テスト期間も本日で終わりというのに、終わった後もとても忙しい。

明日は朝一で東京です。
もしかしたら日帰りでそのまま学校行って卒研かも。

日帰り出来なかったらネカフェで一泊して函館帰ってから卒研です。


ここまできたらもうあとは頑張るだけですね。







夏目友人帳の第三期の放送決定!

http://www.nasinc.co.jp/jp/natsume-anime/


いやっほおぉぉおおぉぉう!!

これであと10年は戦える!!



いやーまさか来るとはね。希望はしてたけど期待はあまり持てなかったのですが。

だって元々単発の1クールのアニメが2クールやっただけでも中々のもんですよ。

しかも少女漫画誌で、単行本もまだ11巻くらいですからね。

少年漫画誌は少年少女、大人も読みますが、少女漫画誌は少年や男性はなかなか手を伸ばしにくいものです。


だから2期でも満足してたのですが、まさかの3期ですよ。




昨今は妖怪ブームなどといわれておりますが、みんな実は心のうちでは「妖怪がいて欲しい」と思っているのではないでしょうか。

柳田國男「妖怪談義」の内の妖怪古意の章十二に拠れば、
そのたおばけたちは本来は無害なものであった。(中略)素直にかれが威力を認めその命令に従順である者に大きな恩恵を付与したというのみならず、(略)』

しかも信仰はいよいよ変化して、今では児童の最も幼い者の間に、わずかに残塁を保つに過ぎないのに、他の一方には何とかしておばけを恐ろしい形に作りかえて、いつまでもこれを信じようとする者が絶えない。おばけの話の年と共にあくどくなるのは、考えてみるとおもしろい人心である。

と述べております。

目的は要するに、相手の承認、ないしは屈服にあった』と述べるように、妖怪は決して人々に害を与えるだけの存在ではなく、むしろ日本で言う神の性質を持っていることが分かります。

良く聞く物語でも、妖怪を蔑ろにした物はひどい目に遭うといったことが多いのではないでしょうか。


『幽霊は居るよ。見えるし、触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしない』というのは京極夏彦の「姑獲鳥の夏」での台詞ですが、僕も同じ考えです。

人間は事実を目の当たりにすることは出来ても、真実を見ることは出来ない。
「目で見る」という光の屈折現象と神経の電気信号のやりとりと、それを制御する脳髄というフィルターを通すということは、すなわちどこかで恣意的に情報を操作してしまえるという条件にあるということです。

真実では存在していないのに、脳が「存在する」と判断すれば、すべての信号が脳で処理されている以上、それは当人にとって「存在する事実」となってしまうのです。


要するに、「脳の独裁政治」とでもいうような、しかも政治というにはあまりにも影響力が強すぎる指導者といえるのが脳であり、それが「白」といえば、黒も白になってしまうのです。

とはいえそれに従うのもまた当人だから、当人は常に無意識であるわけですが。




そして妖怪ブームであるいま、妖怪のその、「相手の承認」という目的は緩やかに浸透していっていると言えなくもないと思います。

そも、信仰という点では科学信仰も甚だしい現代日本において、妖怪という現象がいまだに蔓延しているなどとは誰も彼も思いもしないからこそ、妖怪に対して「居て欲しい」と思う動きが活発なのでしょう。


これが妖怪が跋扈する時代であったら夜道などは何が起こるか分からないから、「居て欲しい」などとは思わない。

「黄昏」というのは「たそかれ」、すなわち「誰そ彼」という意味で、夕暮れ時を黄昏時やカハタレ時などと言ったりするのは、暗がりで相手の顔が見えないためです。


相手の顔が見えないと何が困るのか。

そもそも昔には村などは小さく、大きな町でも出歩く範囲の人間は割と見慣れた人間が多くありました。

そこに「見慣れない姿」のヒトカタが現れたとしたら、それは当然怪しい。素性は知れないうえに、「人か、妖怪か」と訝るのは当然です。

おばけや妖怪であっては堪らないから、「お晩でございます」などと挨拶をします。

つまり挨拶をするのは、防衛手段でもあるのです。


そこのところの詳しくは「妖怪談義」を読んでいただくとして、妖怪ブームに反して「無縁社会」などと謂われる現代では、やはり妖怪は古来の姿では在り得なくなっているのではないでしょうか。


それとも、完全に幻想のものと化したからこそ、物語の中にしか登場し得ないのでしょうか。


何れにしても、妖怪というのは現象であり概念であり、恐怖といった感情や畏怖の対象でもあるような、有耶無耶な存在です。

だからこそ、我々が「存在しない」と思えばその通りなのだし、「居る」と思えば、それもまた正しいと謂えるのです。

要するに、ある現象や概念を妖怪だと唱える者が増えることが妖怪の目的であり、存在意義であり、また存在そのものなのです。



ではまた。

ああ忙しい。もう寝よう。



2011年2月24日(木)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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