君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


リテラシーについて

はい。

45000ヒットありがとうございます。



ここ数日において、ツイッター等の扱いについて、利用者のネットリテラシー(インターネットの基本的な扱い方)の欠如が見受けられる。

僕はインターネットには、人種、性別、国籍、職種、年齢など、あらゆる差異は存在しないと考える。
顔が見えない故に、すべてはその発言の内容によって、レッテルが張られるのだ。

つまり、5歳児だろうがネットで紳士的であれば紳士として扱い、学者でもがネット白痴ならそのように扱われる。

それは男でも女でも、日本人でも欧米人でもそうだ。
だからこそ、ネット上における発言の責任は、現実世界より遥かに重い。


インターネットが簡単手軽で身近なものになった今日では、そういった認識すら曖昧なまま、実に無責任な発言を行うものが後を絶たない。

特に中学生以下などは、インターネットを知りながらにして、その本質を理解していない者が多い。

だから書き込む本人は「中学生のノリ・戯言」として発言していても、受信する側にはそんな事情は無関係だということも知らない。

「自分の常識が相手にとっても同じである」などと戯けた妄想を本気でする。


それ以前に、自分の行動が後々どういった影響を及ぼすのかを理解していないし、自分の行動を客観的に見れてもいない。
(まぁ中学生以下が自分の行動を客観的に見れるわけがないのだけれど)

ネットにおいて、「学生だから」なんていう免罪符は、本来存在しないのである。
なぜなら、現実に学生であるかどうかなんて分かりはしないのだから。

もしそれで罪が許されたとするならば、それは無責任な発言者の功績によるものでも、「学生である」という発言が信じられたからでもなく、単純に温情をかけられたか、相手にするだけの価値がないだけの話なのだ。


とはいえ先にも述べたように、これは年齢とか学歴によるものでは決してなくて、短期的な先見性(つまりネットリテラシー)の問題である。

中学生でも小学生でもしっかりしている人はしている。
しかしそれは特別なことではなくて、ネットを利用する上で備わっていなければならないものなのだ。

別段、備わっていなくてもネットは利用できる。しかし自分の身を守りたいなら、身に付けておくべきだとは思う。


ネットは良い意味でも悪い意味でも平等であると僕は思う(もちろん倫理的にも法的にも年齢制限はあるが、それはネットに限った話ではない)。

だからこそコミュニケーションツールやブログなどのサービスは平等に使えて、平等に発信できる。


しかし現実とあまりに異なるその "大前提" こそが、実に危険なのである。

というのも、大学・高校ともなれば話は別かもしれないが、学生というのは基本的には「一人前」として見られていない。
つまり、「子供」ということで、大人と同等の権限など与えられはしないのだ。

そしてそれは概ね正しい見解であって、実際に(本人は大人のつもりでも)子供なのだ。

一人前の思考をしているつもりでも、それは感情的であったり、浅はかであったり、論理的でなかったり、場当たり的であったりする。

それゆえに「大人」扱いされないのだが、本人はちょっとした自立心と反抗心を燃やす。


そこで "あらゆる者に平等" なネット上では、現実での不遇の扱いから解放され、「偉くなった」と勘違いしてしまう。

まぁ事実、階級でいえば「子供」から「大人扱い」ということで偉くなったと言えなくはない。

しかしその実、これは「偉くなった」のとは本質的に異なる。

先にも述べたように、偉いとか卑しいとか、そういった身分も何もかもの条件がリセットされて、すべてが平等になるのだ。

だから「偉くなった」と勘違いしてそのような態度をとると、袋叩きにあうのも当然といえば当然だ。



ツイッターは非常に手軽で身近なツールだ。

それは人類にとって喜ばしいことなのかも知れないが、良い事ばかりではない。

ネット人口が増えるにつれ、ネット全体が低年齢化している。

昔のインターネットでは、低年齢の者は使用方法が理解できなかったり、そもそも情報の発信方法が不明だったりした。

しかし今では「誰でも」「簡単に」「手軽に」「情報を発進できる」。

受信するだけならば構わない。それが当人の害になろうと、それこそリテラシーが足りずに身を守れなかっただけのこと。

しかしこういったツールでリテラシーの足りない者が発信するということは、当人以上に誰かの害になる可能性がある。


昔は、発信者こそは強者だった。
今でもテレビは強者だと言って差し支えないだろう。

一方的に発信し、それが真実かどうか分からなくても、信じるより他にない。例え嘘でも、嘘だと分からない。
嘘だと分かっても、それを広める手段がない。苦情を出しても、弱者の意見など黙殺される。
最悪の場合でも、発信者とはいえケツ捲って逃げ出せば、自身に害は及ばない。


これがそのまま、「誰でも発信者になれる」のだとしたら、どんなに恐ろしい事か。


その恐ろしさについて、利用者が分かっていない人が多すぎる。
とはいえ、ツイッター等のツールが発達したのはここ数年で、ここまで普及したのもつい最近だ。

既存のネット社会とは異なる性質が、ここ数年で一気に広まった。

その割に、心構え等は浸透していないのが問題だ。


運営としては利用者が増えるほど儲けるのだろうが、それだけでは成り立たない。

「利用者が利用されてる」なんてことにならないためにも、今一度、自分の発言がどういった影響を及ぼすのか、客観的に考えてください。

このような時だからこそ。


ではまた。



2011年3月13日(日)22:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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