君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


Decreast

はい。

体力と筋力と記憶力、そういった「あればあるだけ良いもの」が僕から溢れ出ていっております。覆水盆に返らずとはいいますが、なかなか割り切れないものです。

記憶力の面でいえば、もはや昨日何をしたのか分からないレベルです。何を食べたか。何を話したか、聞いたか。そういうことが覚えられないです。昨日の晩は何を食べたっけ。納豆…?
では一昨日は?

もうダメですね。
いわゆる脳力が衰えているのかも知れませんね。

DSでもやれっていうのでしょうかね。でもそのためにDSは買いたくないし。

そんなわけで、文字通り「その日暮らし」となっているわけですけれども、過去のことを覚えていられないというのは人間としてどうでしょうね。

過ぎた傍から忘れるわけじゃないですが、わりと大事なこと忘れちゃったりする。


これについてはもう、悩んだって不毛なのかも知れませんね。
体力や筋力ってのは、回復させることが可能です。まぁここまで衰えるような生活している者が元に戻るってのは、余程のことがない限り難しいですけどね。

昔は自転車競技をやってたので足の筋力には自信が有ったのですよ。長距離選手だったので筋肉量は少ないですけれどもね。

しかし自転車の筋肉ってのは自転車でしか使えないので、体力測定での短距離走や持久走には全く効果はないです。そこはちょっと悲しいところ。

今は、もう語れないくらい体力がないです。自分でも、これは人間としてヤバいってくらい無いです。まったく運動しませんからねぇ。まぁ今からしたとしても、すぐに体力が尽きる上に次の日は筋肉痛で動けない、つまり継続して運動できない訳ですよね。
僕の性格上、分かり切ってることなんですよ。その辺は自分でよく分かってますからね。



まぁいいや。ある種の諦め。


たぶん体力の無さからくると思うんですけど、常に眠いです。疲れてもいないのに眠い。

もう何をしていても後ろめたいですね。
こうして更新中も、車の運転中も、寝てる時も後ろめたい。
もういっそ出家でもした方がいいのか知らんね。

でも僕は今の仏教が嫌いなので、なんか結局嫌になりそう。


宗教ってのは、こういう罪悪感の支えになるのかも知れませんね。
祈れば許されるという設定だったら、祈ることで罪悪感も軽減される。

そもそも罪悪感ってのは意識的なものだから、同じ罪を犯した者でも罪悪感には大小が生じる。無い人だっているし、押しつぶされる人だっている。

祈ることも、それが何かの役に立つのではなくて、意識的なもの。だからそういった罪悪感を拭うのには良い手段と言える。

だから宗教そのものは否定しないけど、それが金儲けに使われるのが多すぎる。
まぁ信者は祈ることで救われて、教団は祈られることで利益がでるわけだから、ある意味正しい形かも知れない。


唯でさえマイナー思考なのに、最近は体力とか記憶力とカ落ちてきてマイナー過ぎますよ。
もともと貧弱ではあったから体力がなくなるってのはさして気にしてなかったけれども、記憶力が無くなるのが辛いなぁ。

穴のあいたバケツのよう。


駄目だね、どうも。


ではまた。



2009年11月6日(金)20:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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