君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


変態談義

はい。

今日も寒かったですね。
そのうえ今日は雪でしたからね。

ホント、まだまだ気をつけたいものです。


さて今日はアコギの弦を買いましたよっと。
一番安い奴、240円でした。

まぁ張ってみたら普通に良い音なんですけどね。
ギターも1万でブリッジ浮いてるけど、まぁお試し的な感覚で弾くのなら悪くないかもしれない。

例えば中学生とかが、
「さあこれから頑張るぞ!」
って目を輝かせてこのギターを注文して、届いて見てブリッジ浮いてたらかなりショックだろうけど、逆にブリッジ浮いてても普通に弾ける方がおかしいかも知らんね。

ブリッジ浮いてるのに違和感無いって相当キモいギターじゃないでしょうかね。
だって結構浮いてるんだよ?6弦側はくっついてるけど、1弦側は浮いてる。
ブリッジが大元から斜めになってて、でも弾きやすいっていうのは逆にそういう仕様としか思えないよね。
これ普通のブリッジだったら、弦高低すぎて音鳴らない可能性高いしね。

アコギのサドルは削りすぎると取り返しがつかなくなるから怖いですよね。
そのくせ硬いから、削るのには手間がかかる。

もうフライス盤とかエンドレス研磨機使いたくなっちゃう。
フライス盤はダメだね、破壊しちゃうもんね。





朝青竜が引退ですってね。
個人的には、彼自身に興味はございません。

しかし横綱ですよ。
横綱が、なぜ相撲と関係ない原因で引退せねばならないのか。

横綱というのは、横綱たる人物でなければ横綱ではないと思っています。
あまり相撲自体には詳しくないのですが。

勝っていけば、自然と番付が上がってって横綱になれるのは確かだけど、番付だけが横綱を表している訳じゃない。


デーモン閣下は良いことをいいました。

「『横綱』とは単なる最強者ではなく、日本人の心の奥底にある美徳を具現化し、全力士の模範であることが求められる存在、であるということを最後まで完全には理解できなかったのではないか。外国から来た新弟子には、相撲の技術だけではなく日本の文化や美徳を教えることに、今以上に重きを置いて叩き込む必要がある。そういうことを深く理解できないまま番付ばかりがあがってしまった朝青龍は、ある意味かわいそうな存在(被害者)であったともいえる」


まさにその通りだと思うんです。
これらがなくなれば、相撲も終りじゃないかと思います。
ただの『スモウレスリング』じゃないんだよ。




大体において日本の競技は、精神面を重視しますよね。

『点数のつけられない競技』
柔道、剣道、相撲、薙刀、・・・

それらが外国人によって、点数の為だけに蹂躙されて行くのが悲しくてなりません。

オリンピックなんかも、柔道のはよく見ますが、彼らのは卑怯です。
フェシングかなんかみたいに『ヒットアンドアウェイ』でちょいちょい手を出しては逃げ回る、を繰り返して実に面白くない。

そんなものだったら、長身で手足の長い欧米人は有利じゃないか。
柔道ってそんな競技だったか?

そんなんだったらいっそネコパンチって名前なんてどうだろうか。






なんかこうやってニュースについて書くのは楽しいですね。
話題には事欠きませんしね。


テレビなんかは自らは見ないので、ニュースはもっぱらネットで知りますね。
まぁ、良いニュースなんてないのだけれど。

ニュースを流してみてるだけでは、あまり意味がないと思います。
テレビなんかも、結局他人ごとだから流し見できるわけであって。

事実、知人の死亡事故の記事なんかはものすごくショックを覚えた。
彼はもうこの世に居ないのだ。

ニュースを見聞きして、それをどう捉えるか。どう考えるか。それらを考えることで、初めて意味を為すのだと思います。

一般常識として、世間のニュースも知っていなければ非常識人扱いされる世の中ですから、その点でも知っておきたいところですね。





仲の良い旧友と稀に電話したりするのだけれど、傍から聞いてりゃおっさんの会話ですよ。
民主党はあ~だの、世の中はど~だの、僕らの狭い了見ではあるのですが、こうして意見交換出来るというのは素晴らしいことです。

普段の身近では、絶対こういう話は出来ないでしょうね。まずしようとも思わないし。

旧友とだけ出来る、奇妙な信頼とでもいいましょうか。
彼もかなりディープな男でしてね、音楽にはとてつもない見聞を持っています。そして読書においても、同年代では絶対に読まないような本ばかり読んでいますね。

そういう所謂良い意味での『変態』との話は、とても楽しい。
普段の生活の中で、そういう変態は居ないのですね。
だから話をしようにも出来ないというわけで。




自称変態というのは居りますけれども、変態というのは自称するものではないし、変態になるために、ましてや変態と謂われたいがために自らを曲げるのは間違ってると思うのです。

自らを貫く、というのは難しいですが、少なくとも自己の中で不屈の心得みたいなのを持っている。なんでもいい。良いことでも悪いことでも。

そして変態と呼ばれたいがために故意に変態の振りをするのではなく、逆にその信念をわざわざ面に出そうとせず、あくまでも常人のふりをして生きてゆく。
時折見え隠れする部分が常人と異なる、ということを知られてしまって変態と謂われる。

良い意味か悪い意味かはまた別ですが、変態というのはそうあるべきで、そういうものだと思っています。


マジョリティは変態になりえない。
マジョリティの中の変態は、変態ではなく変人もしくは道化だ。

一般的なマイノリティの中にも変態は存在しない。
なぜなら特殊なマイノリティこそが変態だからだ。

単なる少数派ではなく、多数派に対しての反対意見をもつ集団でもなく、多数でも少数でもない特殊な位置に居るのが変態、というのが僕の見識です。







重すぎ。
このブログもうやだなぁ。

まともに字が書けないんですよ。
そんななかこれだけ書くのも辛いんですよ。

思った事を、するすると気持ちよくかけてこそのブログでしょうに。






ではまた。
って、もう12時すぎとる!?



2010年2月6日(土)00:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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