挑戦すること |
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| はい。
なんかやたら出会い系サイトからメールがきますね。 誰ですか登録したのは。 まあ人間からメール来ないから別に良いんだけれど。
さて今日は先日借りた映画を見ました。
ゴールデンアイ 007 ですよ。
多分ゲームの方で有名なんじゃないかな。 N64世代で知らない人は居ないんじゃないでしょうか。 今でもゲームソフトは5000円前後で取引されるという、超人気ソフトです。
で、映画は初めて見ましたね。 この映画は1994年に公開なのかな。
このころの映画はCGをむやみやたらと使ってなくて好きです。今のはCGを使いすぎて気持ち悪い。嫌いです。とはいえ今のCGは凄いですからね、使われてても気がつかない位ですよ。
これを見てぶったまげましたもん。CGだと知りながら見ると多少人物が浮いて見えますが、クオリティが高すぎる。 日本のクソドラマじゃ絶対に勝てないですね。 将来的には安く上がるという先行投資はやっぱり海外は頭が良い。
うん。
で、007は面白かったですね。ゲームをやってる人はニヤリとする場面も数多くあり(本来は逆ですけどね)、逆にゲームのクオリティの高さを改めて認識しました。
個人的に突っ込みたいところも結構ありましたけども…。それは置いておきましょう。
さてあと3本も映画を見なければなりません。 でも正直あまり時間もないのですよ。
でも映画は楽しいですね。純粋に楽しいです。 しかし通うのが面倒だからって一度に借り過ぎると、結局見れなくて残念な感じになってしまうので気をつけなければなりませんね。
眠い。でもすることは沢山あります。 主にレポートとかレポートとか。
まぁやらなきゃいけないからって、やる気が出るのとはまた別の話ですからね。 やる気が出ない以上、やりたくても取り掛かれないのですから。 いや、「やりたくても」というか「やりたい」という気持ちにならないのが困ります。
まぁ好きでやってる訳じゃない以上は「やりたい」と思う訳はないのですが、それでも最終的に仕上げなければならないのは分かっているんです。 だから取り掛からなければならないのに、もう腕を上げるのですら面倒なんですよね。
今はそれほどでもないのですが、だからって…ねぇ。
休みが有って無いようなものです。 心が休まる日はないですね。 まぁみんなそうなのかも分かりませんがね。
挑戦することが大切だというけれど、それで結果が伴わなければ意味はないことになります。 僕はそう思います。
挑戦すること自体に意味があるという人もいますが、それが経験になるというのなら或いはそうかもしれません。
例えば何らかの競技ですね。 そういった競技大会は結構、出場料とか遠征費とか馬鹿にならないんですけれども、それでも大会だからこそ得られる経験があります。
しかし例えば絵画のコンクールなどはどうでしょうか。 出展用に書く。あとはそれを出す。 出展料は競技大会と同じく取られますよね。 しかしそのコンクール自体は経験にはならないと思うのです。
挑戦することに意味があるのは、経験や何かを得るということだけです。 得るものがないのなら意味もない。
「挑戦したという心構えに意味がある」というのも、慰めの言葉でしかないんですね。 挑戦して成功しなければ意味がない。
まぁライト兄弟だって挑戦しては失敗して・・・だったのでしょう。その失敗した挑戦は次の挑戦に役に立つ。 失敗は成功の元というのも有名です。失敗がヒントになる、ということですね。
ではヒントも貰えない失敗だったら、それこそ意味がない。 絵画コンクールで、「落選」という紙切れだけが送られてきたとしたら、なぜ落選したのかが分からない。 それでは意味がないというのです。
これは物の喩えですから、絵画コンクールに意味がないと言っている訳じゃないんですよ。
ただ、「挑戦すること」の本質を考えてみただけなんです。 挑戦しなくなったら、ある種人間の終わりかも知れませんね。
僕の場合はわりと早く終わりそうですがね。
ではまた。
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2010年1月20日(水)20:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
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