君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


塞翁が

はい。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&q=%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E5%A1%94+%E5%BD%B1%E9%9F%BF&lr=&aq=3&aqi=g10&aql=&oq=%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E5%A1%94&gs_rfai=

どうもダメなのは、ひょっとするとこの家に原因があるのかも知らん。
僕は風水とか霊道とか、そういうものはまるっきり信じては居ない。

いや、風水などは在るのかもしれないが、少なくとも現代風の宗教と商売染みたものを風水とは言わないのは確かで、これを風水だ何だのと囃し立てるのも害悪の根源とでもいえるテレビの所為なのではないだろうか。

だからと言って科学を盲信するのは現代人の悪い癖で、それも矢張り例の害悪が齎した災厄の一つだろう。
だから僕がこの家に居るときだけ頭が痛くなったりダルくなったり、やる気が出なくなるからといって、原因がこの家のマンションの屋上に設置されている電波塔から出ている電磁波だ、などとは一概には言えない。

一説によれば、携帯電話を長時間使用していると脳腫瘍が出来る確率がそうでない人に比べて高いだとか、痴呆が促進されるだとか、とにかく脳に対して良くないという科学論文があるのだそうだ。

もしそれが本当なのであれば、携帯電話というあの小さな端末ですら「そう」なのだ。
では膨大な数の端末を相手にする電波塔であれば、どれだけの影響を及ぼすだろうか。

あくまでも想像の域ではあるが、良い影響があるとは考えられにくい。
そもそもこう言う事例において、良い影響を与えることなどは殆どない。
人間が作り出した産物は、いつだって自然に害を与えるし、それどころか公害という形で人間にすら牙をむくことだってある。

電磁波というものは実用化されて日が浅く、また目に見えない。
目に見えない以上、公害が発生しても原因として犯人を特定するのも難しいだろう。
採取して成分分析する訳にもいかないし、モルモットで同じ状況を再現したとしても上手くいかないかも知れない。

しかし良い影響が無いからといって悪い影響を与えているという可能性もあるとはいえず、むしろどちらの可能性も等しく無いといえる。
いや、現時点ではそうでなければならない。

仮に人体に影響があると判明すれば、人間は携帯電話の使用をきっぱりと止められるだろうか。
いやそれだけではない。
電波や電磁波を使用する器具、または発生する器具の使用をやめられるだろうか。

僕はやめられないと思う。
今さらその利便性を知ってしまって、多少の危険性など軽く無視して利用しつづけるだろう。

逆にタバコの様に、一部の愛煙家を無視したファシズム的な弾圧をすることもあるが、アレに関しては嫌煙者がマジョリティだっただけのこと、所詮はその程度の差でしかない。
マナーとか税率とか、そういうのは彼らの事を考えて行っているのではなく、ただ単純に弾圧したいというだけなのだ。

つまり仮に電波塔が人体に悪影響を与えていると知っていても、それに対する防護策は現実的に無い以上は、その影響を無視せざるを得ず、そうなることが分かっているが故に悪影響の真実を、悪そのものに乗せて発進するメディアが報道するとも考えにくい。


幽霊や妖怪といった類は、遥か昔から居ると言われてきた。
しかし目に見えないから、という理由で存在しないものとされ、特に科学文明では頑なに無視され続けている。

しかしながら目に見えないものというのはなにも幽霊や妖怪に限った話ではなく、現実的な問題として対処すべき話なのである。

とはいえ具体的な原因や症状など、まだまだ分からないことが多すぎる。
また潜伏期間、つまり被曝してから発症に至るまでのスパンが長大すぎるためその症状に気がつかないというのも、対処が遅れる原因となっている。

またロボトミーとは少し性質が違うが、当時は良かれと思ってやったことでも後あとになって、実はとても危ういものであった、ということも考えられる。
もちろんそれが判明するのは代替策が講じられるようにならなければならないから、一時代かかるだろう。

そうなったときには幾分遅い気がするが、もし現時点で電磁波が怖いと思うのであれば、一番の良策は自らが近寄らないことに他ならない。

しかしながらこのマンションのてっぺんには電波塔がそびえ立ち、休むことなくもしかすると人体に有害な毒電波を送受信し続けているのだ。
逃げることも出来ず、ただただ知らぬ間に毒されていくのだろうか。
そう考えるとなんとも恐ろしい話である。

などと書いている僕自身、携帯電話は必要だと思う。
「無いと生きていけない」などと宣う女子高生などは滅べばいいと思うが、社会的に持つことが前提となっている以上、持っていないと社会的に生きていけないというレベルに達しているのは確かだろう。

個々人が携帯電話を持つか持たないかはあくまで自由だが、持たざる者が社会的に存続できるかというのはまた別の話なのだ。
そういう点からみても、タバコと違い、害であると分かったとしても容易に手放せないのだろうと思う。


世の中どう転ぶか分からない。
人生万事塞翁が馬。



2010年4月6日(火)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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