君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


文章の価値

はい。

最近、ブログとかツイッターの意味について思います。
ウェブ上に残すことに意味はあるのか、と。

まぁ意味が無くてもブログは存在する以上、何らかの作用はあるのでしょうね。

事実、ブログというのは個人体験的な記録ですから、参考になる内容だったりすることも少なくありません。

では中身のないブログはどうか。
矛盾したブログはどうか。

例えば、「更新する気のないブログ」というのは矛盾していますが、世の中ずいぶん多いと思います。
ブログである以上、書かれた内容はサーバーが潰れない限りはネット上にあることになります。
それ自体はそのままで結構。

しかし書くのをやめた日記、すなわち更新されないブログというのは、よほど内容に価値がないのなら意味はないですね。
意味が無いという点では、内容に価値が無い時点で『書くこと』にすら意味はないことになりますし、事実そうだとも思います。


「あぁーブログ更新しなきゃぁ・・・めんどくせ」
となっているブログでは、書く意味などもはや皆無と言って良いでしょうね。
そういう意志で書かれた文章は、どうしても内容が希薄になります。つまり価値がないのです。
書かれる文章に価値がないということは、書く必要がないことになります。


世の中には書きたいから書くっていう人は多いんじゃないかと思います。
特に今時の学生なんかだと、友達とHP作ったりなんてこともし始める頃ではないでしょうか。
その頃は、それだけでもなぜか楽しいんですよね。

しかし「書きたいから、書く」だけでは足りないんです。
正しくは、「書きたい事を、書きたいから、書く」といいます。
書きたいことがないまま「書きたい」という気持ちだけで書いては、内容が無いままになってしまいます。

僕は書きたい事を書きたいから書いています。
ブログの内容については何とも言えませんが、それなりに内容は盛り込んであるんじゃないかなぁと自負する程度には書いているつもりではあります。
まぁ価値はアレですけどね。価値といえば、貧にゅ(ry


はい。

さて話を戻しますと、矛盾したブログというのは即ち、書く意志のないブログといえます。
書く意志のないブログは書かれたところで内容の薄い文になってしまうのも当たり前でしょう。
内容の無い文章には、意味はなく、意味が無ければ価値も生まれない。
従って、矛盾したブログに価値はないのですね。


では逆に、価値のある文章というものはどうでしょうか。
つまり意味のある文章、内容が充実した文章ですが、偏に充実といってもこれには幾つかの項目があると思います。
例えば、書いていることは当たり障りのないことでも、書き方によっては随分面白いと思えたりしますよね。面白い文章というのは、それだけで人を引き付ける力があります。(逆にいえば面白くても、書き方が悪ければ人は見向きもしませんが)

重要なのは、価値というものは客観的なものであるということ。

例えば僕はバイク好きですが、よくどこかのブログの記事を参照することはあり、非常に意義があります。
しかしバイクに全く興味のない人にとっては、そのブログの記事は全く意味の無いモノですから、当然価値はゼロです。

このように、自分にとって価値が高いから万人にとってもそうなのだろうとするのは良くないですね。
しかしその実、一番その状態に陥りやすいのが書いてる本人なんですね。
というのも、自分は体験者だから全ての詳細を分かっています。
どういう事の後に、どういうイベントが発生したのか。どういう人がいたのか。どんな風景だったのか。

しかしながら当然、読み手はそんな事情は知りません。

にも拘らず、あたかも読み手がその場に居たかのように書いてしまう。
文章に著されずに、本人の頭の中で完結してしまう。


例えば、話の途中でおもむろに、今まで話に出てこなかった登場人物が急に出てきたりすると、読者は「誰だこいつは」となって混乱してしまいますよね。

著者のなかでは、その登場人物は「最初からそのグループの中にいたけど、ここで初めて注目された」というだけなので、説明を書かなかった、というより盲目的になっていて 『説明をしなければ,
読者には伝わらない』 ということを忘れていたのでしょう。


何が言いたいかというと、読み手の視点に立つということが重要だということです。
(実践できてるかどうかは別ですけどね)


要約すれば、価値のある文章というのはこういうことです。

・面白い
・分かりやすい
・中身がある


まぁかなり端折った感じですけども、これはほぼ全ての文章に当てはまるのではないでしょうか。
「面白い」と「中身がある」というのは、重複している部分もあると思います。
小説なんかは中身が無ければ面白くないですし、漫画では逆に、面白ければ多少絵が下手でも人気になったりしますよね。


しかしながら、これら挙げたことは中々難しく、特に「面白い」というものは一番難しいのではないでしょうか。
「分かりやすい」というのは客観的な目から見れば一目でわかることですし、「中身がある」のならば文章量は自然と増えるものです。

面白いというものには、不思議な事に個人で違う考えを持ってますし、これといった明確な基準もありません。
しかし面白くなければ、分かりやすいとか以前にまず読んでもらえないため、文章において重要な位置を占めるともいえます。

面白いかどうかは読んでみなければ分かりませんが、途中まででも面白いか否かということは十分にわかるもので、ひとたび「否」の判定がでれば、読み続けることは難しいのです。
逆に面白いという判定が下されれば、いきおい次の作品も期待する=読んでもらえます。

上に挙げた3つの柱は、それぞれ独立しているのではなく、それぞれが相互に関わっているのです。
三権分立みたいなもんですね。


主権となんだっけ



2010年5月6日(木)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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