青天の |
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| 本日は快晴だった。 いつぶりだろう。晴れというのは実に気分が良い。
一昔前では、夏の関東で日照りが続きダムが枯れることもあったかと思う。 しかしここ最近ではそれも聞かない。
毎年毎年、日本は異常なのである。 1年前はどうだったのに、今年はどうだ。と、何の有益にもなりはしない役立たずのテレビは、さも今年が異常であるかの様に囃し立てる。
ちょっと夏が暑くなれば、さあ異常気象だ。 ちょっと冬が寒くなれば、やれ異常気象だ。 ちょっと雨が多ければ異常気象だし、少なくても異常気象なのだ。 気違い染みてるとしか言いようがない。
しかし、そうでもしなければ放映する内容もないのだろう。 まぁそもそもテレビで何かを放映する必要性などどこにも無いわけだが。
とにかく、彼らは日本が異常でなければ気が済まない。 その年のボジョレー・ヌーボーがいつだって歴代でもっとも出来が良いのと同じだ。それでもメディアを信じるならもはや宗教染みた何かに取り憑かれているから、お祓いでもして貰うと良い。
今年が暑いのも寒いのも、テレビが無くたって体感できることだ。 外が寒い。当たり前だ、冬なのだから。 外が暑い。当たり前だ、夏なのだから。
結局求めているのは過去最高の云々でなく、これからの事に違いない。 暑いのは言われなくても知っている。テレビの価値はそんなところには無いだろう。尤も最近ではその少ない価値も消え失せようとしているが。
しかしその反面、テレビの発言力は軒並み高い。 テレビが今年の暑さは異常気象です。とでも言おうものなら、極端に冷夏でもない普通の暑さならば、テレビを信じるだろう。
しかし思い出してほしい。日本の夏は暑く、冬はそれなりに寒い。北海道では凍死できるレベルなのだ。 それを、自分の感覚を無碍にしてわざわざテレビのいう嘘を鵜呑みにするというのも理解に苦しむ。 そりゃあ、暑い夏が過ぎて、寒い冬が過ぎて夏が来れば、とても暑く感じるだろう。
「これは暑い、暑すぎる。こんなものは平常じゃない。きっと異常なんだ。最近は二酸化炭素が…」などという、それこそメディアの嘘に騙されて、いつの間にか洗脳されていることに気がつかない。 では聞くが、二酸化炭素が地球にどれだけの影響を及ぼし、いま現段階でどれだけ深刻なのか、観測データなり正式な論文なり、見たものは居るか。 勿論僕は見て居ない。でもだからこそ、そのメディアの騒ぐエコに対して懐疑的なのだ。 本来ならばこれが正しい姿勢で、むしろ自分が見てはいないけど誰かが言ってたから正しいだろう、という方が在り方として間違っている。その誰かは誰かに聞いた、というのだろう。
だから僕は、エコと言う言葉が嫌いだ。 エコを叫ぶならアメリカを何とかしろ、という話で、米国がエコを拒否したことで日本にそのしわ寄せが来たと言ってもいい。 それは置いておくが、しかしエコが必ずしも正しいとは限らない。 だからといって汚染することは正しくないのだが。
世の中ではエコが正義である、という風潮になっており、これもまさしくメディアの洗脳の賜物であろう。 メディアはこうやって、段階的に洗脳しやすいように洗脳を施す。 メディアは何時だって強い者の味方である、ということが大切だ。 強い者は正義である。つまり、メディアは正義なのだ。 正義は何をしたって正義の名の下に許される。
その昔、テレビなどという災厄が無かった頃、人は今日というその日を生きてきた。 晴れたら晴れを悦び、雨なら雨を歓ぶ。春には春を、夏には夏を。秋に冬にと生きてきた。
それがどうだ、今は夏が暑く異常だ。冬は寒く異常だ。春は桜が遅くて異常だ。秋には台風が多くて異常だ。 異常だ異常だ、異常でなければ気が済まない。
そうなったら今度は異常が多すぎて、平常こそが異常になる日も近いかも知らぬ。
晴天は晴天、曇天は曇天で、雨天は雨天。 その地に暮らしていて、体感できること以外の情報をしる必要は無い。
いかに異常でも、空が落ちてきたりなどしないのだから。
青天の、霹靂。
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2010年4月8日(木)20:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
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