君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


安心を得るために

はい。

暇が有るようで無いですね。
無いです。オーケー?
正直、更新もままならないですね。

なのになんだろう、このムード。
更新したいんですよね。

いやいや、僕がしっかりせねば。
「僕がしっかり」って、最も僕に似合わない言葉じゃないでしょうか。

でも更新も不定期になるかも知れません。




『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』

安心を・・・生きる・・・



生きるということは、不安だらけだ。
生きている以上、最も恐れるのは死だ。
そしてそれが無いと分かれば、次は・・・心身の充足。

その充足が崩されるのを、何より恐れる。
言い換えれば、安心を得るために生きている。
生きているから、安心を求める。


安心を得たいなあ。
人間をやめればいいのだろうか。そうすれば永遠の安心を手に入れられるのだろうか。


「安心を得るためにすべきこと」に、答えはない。
こればっかりは、全くもって答えは存在しない。

己が安心だと思う方向に進んでゆくしかない。
しかし、答えは無いが近道はある。




一寸先は闇。
たったの3cmの先が、暗闇に閉ざされている。
その先を照らすモノなど在りはしない。

ザ・ワールドは「今」を止めているだけだ。
バイツァ・ダストは時を戻す。
キング・クリムゾンだって、未来を予測できるわけじゃない。
ムーディ・ブルースは過去をさかのぼる。
メイド・イン・ヘヴンは時間を早めているだけだ。


「未来を見る」、つまり「安心を得る」ことは、誰にも出来ない。
ただし、覚悟の出来た人間は幸せだ。

予期せぬ出来事に翻弄されることはない。
何が起こるか分からなくても、「何か起こる」と分かっていれば、身構えて対処することも出来る。


安心を得るためには、未来を知ろうとすること。
未来を知ろうとすることは、覚悟をすること。
安心を得るための最も近道は、覚悟してかかることだ。


覚悟とは、これから襲いかかる不幸に対してするものではない。
未来に起こる、ありとあらゆる出来事に対して、神経を研ぎ澄ませて、いざ起こった時に、どう対処するかを予め決めておく。

何が起こるか分からなくても、「何か」起こると分かっていれば、その状況に則した「何か」が起こるのだという、シミュレーションが出来る。

例えば何かの会議のときにする覚悟。
「絶対に何か起こる」と分かっているならば、何かしらのシミュレーションを立てれば、いざという時に迅速に対応が出来る。

会議のときに、突然死んだりするというのは考えられにくいから、これは想定しなくて良い。
コーヒーをこぼしてしまう、というのも、日常的に想定出来うる範囲内だから、これも想定しなくて良い。

『会議』という場でのみ起こる、通常では想定できない事態を予測することが出来れば良い。

例えば「急に何かの案を出せ」と指名される。
ボーっと会議に立ち会っているだけなら、会議の内容も聴き逃してしまうから、何か聞かれても答えられない。

しかし想定していれば、会議の内容は聞き逃さないように真剣に参加するはずだ。


覚悟とは、想定して対応することだ。

殴られる、よけきれないと分かっていたら、覚悟するだろう。
「殴られたら痛いだろう」→「血が出たら」「骨が折れたら」「逃がしてくれなかったら」

ということを一瞬で考えて、対処する。
血が出たら拭く。骨が折れたら救急車を呼ぶ。逃がしてくれなかったら有り金を差し出す。



安心を得るためにする覚悟というのは、尋常ではない量になる。

しかし逆に、常に目指すべき安心を見据えて起きうることに覚悟している者は、絶対に安心を手に入れることが出来るのだ。



2010年4月20日(火)23:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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