君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


更新休止/性能とは

諸事情により、しばらく更新を休止いたします。

再開はまだ分かりませんが、もしかしたら追記にてお知らせするかもしれません。
基本的には来週とそのまた来週、つまり最低でも12日までは自重します。






『性能とはなんだろう?』
と考えたとき、そのモノの持つ特性・能力という考え方が一般的だと思います。

しかし、それならば性能でなくても性質や資質でも良いですよね。

性能という言葉にある、ニュアンスはなんでしょうか?

性能の定義
性能(せいのう)とは本来持ち合わせている働きを指す。工学・技術においての性能. 性質の特に有効な側面を性能という。また性能は、性質の一面を捉えて定量化した指標を指す。

とありますが、『本来持ち合わせている働き』というものは何か。

例えば車だったら、「200キロ出せます」「300馬力あります」という具合に、主に限界値で語られることが多いと思います。

一方、「これだけ物が積めます」「こんなに快適です」というようなものは、通常の乗用車では性能とは言わないですね。
セールスポイントだったり、特徴やメリットと言った方が良いかも知れません。

それはなぜか。
一般の乗用車である以上、それぞれ在る程度の能力を有していることは必須だからです。
つまり、どんな車でもある程度の積載能力はあるし、在る程度は快適じゃなければならないのです。

いわば、『付加価値』 は能力とは言わないのですね。


物が積めるということをメインにした品物、例えばトラックなんかでは、物が積めるということは立派な性能ですし、偉い人を乗せる高級車では、乗り心地こそ優先される性能です。

つまり、『主軸となる能力のすごさ』 を性能、と言うことが出来るのではないでしょうか。


で、ここで問題となるのが、『本来の性能』 というもの。

性能の定義にもあるように『本来持ち合わせている働き』 というものが性能である、というのは半ば納得できますね。


では例えば、『200キロ出る車があるが、制限がかけられていて100キロまでしか出せない』というとき。

高速道路だろうがどこだろうが、100キロまでしか出すことが出来ない。
こうなった場合、この車の『性能』はどうなるのでしょうか。

定義である 『本来持ち合わせている働き』 から考えれば、一般的にはこの場合でも、200キロ出せる車ということが性能になるのでしょうか。

しかし、結局だすことはできない。性能は発揮されない。
そうなったとき、結局発揮できる能力という点で、最初から100キロしか出せない車と、制限されて100キロしか出せない車とを比べると、性能は同じということになりませんか。

(もちろん機械的な観点からみれば、100キロまでしか出せない車で100キロ出すというのは、限界値ギリギリの働きなので、機械には良くない。その上振動も半端じゃないし、乗り心地は悪いし、燃費も悪い。きっとハンドルもぶれるし、何かあっても止まれない。
それに比べて限界の50%で同じ能力を有するのであれば、もちろん後者の方が良いのに決まっています。
しかしそれは今回、無視します。)


では仮に、上の条件でも性能の定義通り、200キロ出せるからその通りだということにします。


もう1つの条件ではどうなるでしょうか。

『300キロ出せるが、風圧で200キロしか出せない』
というようなとき。

制限されているわけでなく、また本来の使い方をしているのにも関わらず、『本来持ち合わせている働き』 が出来ないとき。

そうなったときには、実質の能力である200キロが性能だと認識されるのではないでしょうか?


以上のことから、
『性能とは、制限されていない状態において、本来の使い方で発揮できる最大の能力のこと』
だといえます。


これは結構面白いことで、例えば、人間にも当てはまります。

「まだ半分の力しかだしていない!」 とかって言うセリフがよく漫画でありますよね。
「くそッ!本来の力が出せれば・・・!」 とかね。

アレって、要するに戦う相手としては制限している訳じゃないのだから、お前の『性能』はそれだけだよ。ってことですよ。


それはなにも戦いの最中でなくても言えることです。
性能は、人間では実力と言い換えることができます。

課題に対して、「本気で取り組んでないけど、本気をだしたらこんなもんじゃないぜ。」 っていうのは、誰も制限していないのだから、本気を出していない今の現状があなたの実力ですよ。ということです。


僕は今まで、何事もテキトーにこなしてきました。
カッコよく言えば、余力を残しているといえます。

しかしその実は、全くの逆です。
全力を出したことがないというのは、全てがそうです。
ある競技の大会があるときも練習は熱心ではなかった(もちろん本番は大真面目で全力以上を出してましたが)。
そして大事な試験があるときも、あまり勉強してこなかった。まぁ大事といっても学生の大事ですから、高が知れてるのですが。

余力を残しているのではなく、愚かなだけなのです。
確かに本気にはなったことはないかも知れない。でもだからダラダラと取り組んでいたら、それに見合った結果しか出ないのですよ。
そして愚かな僕は、ダラダラと惰性で生きるのがどうも得意なようで、いつもダラダラとテキトーに取り組んでは見合った結果しか返ってこないのです。


誰も制限しているわけでないのに、僕はダラダラ生きてます。

つまり、僕の性能は 「ダラダラテキトー」 という程度でしかないのです。
これは自分が一番知っています。

そして、行動を変えればいいのに変えないのもまた自分、それもまたダラダラテキトー。

典型的なダメ人間ですね。



ではまた。



2010年6月3日(木)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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