人と利便 |
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| はい。
ビックリするくらい更新のこと忘れてました。 そして只今0時00分。
そして書くことは特にない。 毎日暇というわけでも・・・いや、暇ですね。暇だけど時間の使い方が絶望的に下手なので、いつの間にか一日が過ぎてゆきます。
そんなわけで書くことも見つけることが出来ませんです。
そうそう、先日っていうか昨日ちょっと祖母の家に行った時に寂びれた古本屋に寄ったのですが、そこでちょっとした掘り出し物を発見しました。
Rockin'on Japan 1996年5月号、同1998年11月号、同2001年1月号。 そしてTMGEのシングル『アウト・ブルーズ』とアルバム『MAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!』です。
このMAXIMUM! MAXIMUM!! MAXIMUM!!!ですが、これはミッシェルのインディーズ時代のファースト・アルバムですね。 そんで僕が手に入れたのは初回版です。初回盤は1993年でCDの色はオレンジですが、再販は99年で色が黒い。
これはライブ音源ですが、この頃は動員数も少なかったのだとか。 それでも歓声が聞こえてきますけどね。
ギターもアベフトシではないです。シガケイイチという人です。ギターの迫力がイマイチ?
チバが若い!若い!!若い!!!
そんで声が!
がなってない!!
この頃から歌詞は独特ですかね~
これのCDの3年後に、「世界の終わり」でメジャーデビューでございます。 なんか歴史ですよねぇ。寂びれた感じの古本屋には、こういうお宝があるから侮れない。
さて明日は5時に起きて朝一で東京ですよ。面倒なこと山の如し。
今の東京って地獄とどう違うんでしょうかね。 これから先、住むことも有るかもしれませんが、あそこは人間が住むのに適してないですよ。
もうね、全部地下に作ってしまうのも一つの手だと思うんだ。
そんですげー発展してメガロポリスみたいなね、そういうアレで科学とかすごくて、スーパーコンピュータが管制するの。
「ハレルヤ」とかいうコンピュータが世界のどっかのコンピュータと喧嘩して、「もう核戦争しかありません!」とか言うの。
そんで超水爆がどうのとか言って、何人かだけ地表に出るの。 そんで何だかんだあって最終的に1人になって、そいつは火の鳥の血を飲んだから死ななくて、ナメクジが強いの。
そんでナメクジは地球の水分を全部失くしちゃって滅びるの。 そんでそこからなんか忘れたけど、タマミと合体してアクエリオンなの。
元ネタ分かる人が何人いるのやら・・・ まぁキーワードは随所に盛り込んであるから分かる人は分かるハズですけどね。
うん、で東京の話でしたっけ。
今の時期って一番嫌な時期じゃないですか? 住んだことはないので分かりませんが、どうなんでしょうね。
まぁだからって行かないわけにはいかないのですけどね。
で、日帰りですよ。 往復千キロくらい?1200キロくらいかな。
飛行機ってすごい。
例えばインターネットは便利だけど、人間が生きる上では必要じゃないですよね。
逆に、それらの、一見すれば便利なものの所為で、生きることが面倒になっているとは思いませんか?
便利は人を面倒にする。 面倒は物を便利にする。
インターネットで仕事でもなんでもかんでも一瞬で送受信できるようになったお陰で、仕事の量は何十倍にもなりました。計算がコンピュータに任せることで、一つの仕事の処理速度が何十倍や何千倍にもなりました。
コンピュータなどの便利な道具は今のような発展には欠かせないものですが、発展はそこまで人間にとって必要なことでしょうか?
目的はあくまでも「利潤」なんだと思います。その結果として、科学が発達したり、世の中が便利になってゆく。
だってそうでしょう?損しかしないのなら、だれだって挑戦しませんよね。科学者ですらそうです。見込みのないことはしないのですから。
利潤を求めた結果、便利が生まれる。便利が生まれた結果、処理速度が上がる。上がった結果、人間の仕事量が増える。
なんかおかしいですよね。 通常の考え方では「処理速度が上がる」ならば、「人間のする仕事量は減る」ハズです。 しかし実際には違う。 処理速度が上がったおかげで、それだけタスクを詰め込んで、結局はやることが増えただけです。
面倒は便利を生み、便利は面倒を生む。
便利の本質は面倒だ。便利こそが面倒の種であり、面倒は便利の成長した姿だといえる。
『鶏が先か、卵が先か』なんていう話がありますが、これは最近決着がついたのだそうですね。
鶏に卵を生成する器官があるので、その器官を有する鶏が卵を産まなければ卵は存在しない。 だから鶏が先なのだそうです。
では便利と面倒ではどうでしょう。 『面倒が先か、便利が先か』ということです。 面倒から便利が生まれ、便利から面倒が生まれる。
しかし実際にはどちらも因果関係はないのです。 なぜなら、面倒だと思うのは人間なのですから。
人間が便利の先に面倒が待ち受けるということを知らないだけで、便利が天から降って湧いた幸福の種だと信じ切っているのが問題なのです。
幸福の種から幸福が目を出すとは限らない。 幸福の種を如何に育てるか、それが重要なのではないでしょうか。
ではまた。
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2010年7月29日(木)00:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理
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