君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


我が身の臭さ我知らず

はい。

また数日更新が停止いたします。
最近多いな・・・

願わくば、これが一連の休止の最後にならんことを。



昨日のライブでヘドバンしすぎたせいで、見事に首が筋肉痛です。
そんなになるまでヘドバンするか普通。アフォですね。

で、今日はテキトーに起きてVIP見て終わりです。


最近、週1でとはいかないまでも2週間に1回くらい東京に行ってます。

今年に入るまで北海道から出たことが無いというのが一つの自慢だったのに、それがなんだ。
もうことある毎に東京東京って。そんなに東京が好きか!

まぁ好きではないですね。
飯が不味い。暑い。蒸す。混む。歩く。

しかし行かなければならない。困ったもんです。
これで遊びに行くというのならばまだ救いようがあるのですが、そうじゃないのが何とも悲しい。


しかしナップスで夏のセールがやってるらしいのです。丁度良く!
だから行ってきます。といってもメットのシールドを買うくらいですけどね。



そして帰宅したらレポートがあるのですが、全くやる気が出ないです。
現在すでに溜めてしまっております。留保だよ留保。

溜めたら辛くなるのも知っているのですが、少しも身が入らないのですね。
『レポートをやってる自分』というのが想像できないくらい、レポートから遠いです。はぁあ。




自己嫌悪になったことのない人はいない、と信じたいところではありますが、どうみても楽天家な人はどうなのでしょうか。

実際のところ、そういう人に限って実は深いモノがあったりするのだと勝手に思っています。

しかしそんなどう見ても楽天家の彼は、例えば誰からも好かれていて、勉強も出来なくはなくて、運動もそれなりに出来て、ユーモアも溢れる。
そんな人だったらば、他人が彼を嫌悪することはないのではないでしょうか。

しかし事故嫌悪したことない人は居ない、とするならば、彼も例外なく自己嫌悪するのです。

彼が自分のどこを自己嫌悪するのかは分かりませんが、他人から見ても分からないような、自分にしか分からないような部分を自己嫌悪するのでしょう。

世の中に完璧な人はいないハズですから、誰だってアラを探してみれば、欠点はあるものです。
欠点が無いのなら、欠点がないのが欠点かも知れません。


自己嫌悪とは何の為にするのか、ということについては甚だ疑問ではありますが、「俺って嫌な奴だなあ」と思うと言うことは、他人からの評価を気にするということなのでしょうか。

他人から良い奴と思われたいから、自分を客観的に評価しようとして、主観的に捉えてしまっている。そしてそれに気付かない。

己が自らを客観的に評価しようとするとき、そこにはどうしても主観が交じってしまう。これは避けられないことです。
なぜなら客観とは、捉える者の主観なのだから。相手の主観こそが客観なのだとするならば、自らを客観で捉えるためには、相手と全く同じ思考をしていなければなりません。
しかしそれは不可能だから、自己を客観的に評価することは決して出来ないことなのです。


まぁ話がそれましたが、つまり、自己嫌悪なんてことに意味はないのです。するだけ無駄なのです。

とはいっても、どうしてもしてしまうのが人の性。

しかし『我が身の臭さ我知らず』、というように、自分の欠点は自分には分からないことが多いです。

自己嫌悪したところで、他人から見た欠点とは全く見当違いの方向に嫌悪するのでしょう。


我が身の臭さを知るためには、他人の臭さを知らなければなりません。
そりゃあ、臭いにおいはかぎたくなどありませんが、相手も人間なら、大抵似たような部分が匂うハズではないでしょうか?

特に、同族嫌悪なんてやつは、案外当たってるものですよ。本能的にかは分かりませんけどね。





あー・・・脱糞したい
明日の準備しなきゃ。



ではまた。
レポートなんざ少しもやる気せん。危機感もない。

危機感がなくなるのが、もっとも危機なのでしょうけどね。



ではまた。

ぶっちゃけ何を書こうとしたのか書いてる途中に忘れました。投げっぱなし感が強いのはその所為かも。



2010年7月4日(日)23:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

コメントを書く
題 名
内 容
投稿者
URL
メール
添付画像
オプション
スマイル文字の自動変換
プレビュー

確認コード    
画像と同じ内容を半角英数字で入力してください。
読みにくい場合はページをリロードしてください。
         
コメントはありません。


(1/1ページ)