君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


Succession ~継承

今日は終戦記念日である。
それに関連して、最近はなにやら戦争番組ばかりやっている。
それ自体は重要なことではあるが、内容が見るに堪えない。というより、客観的でない。

放映する立場として、その番組がいかにも正しいかのように見せる行為はあまりにも無責任すぎるのではないか。

そしてそれを見て感動してしまう莫迦者が多すぎる。
だからこそそういった番組が作られる訳だが。

感動するために見る戦争番組というものは、エンタテイメントだ。笑えない冗談もここまで来ると反吐が出る。
感動するように作られる番組も同類だし、それを見て過去の日本人を愚かだと蔑むのはもっと劣悪だ。

戦争は確かに望まれないものだ。しかし戦争は外交手段の一つであることを知らない人も多い。
それだけならまだしも、太平洋戦争の日本帝国軍は絶対悪だと決めつけることなどは愚の骨頂。

日本から開戦を始めた――などは事実だ。事実ではあるが、そこから話を始めるのがいけない。

戦争は無から生まれる訳ではない。先ほども述べたように、一つの外交手段なのだ。
つまり、その手段を用いるのには必ず背景があることを忘れてはならない。


そして「勝てば官軍」という、戦争における何よりも理不尽なルールが、今の日本を作り出していると言っても過言ではない。

今の日本があるのはもちろん第二次大戦が終戦を迎えたからだ。
つまり現代日本は、まだ65年しか経過していないことになる。
その65年という他国からすれば圧倒的に短い歴史のなかで復興を遂げた日本は、未だに敗戦国だ。

戦争犯罪人を頭ごなしに否定する。
極東裁判の――というより、戦勝国が純粋な正義だと幼少時から教わり洗脳され信じ続け、その実態を知りもせずに否定する。

「周りがそう言ってるから、きっと正しいに違いない」
「きっと正しいから、疑う必要が無い」

そういう魂胆が見え見えすぎる。
それなのに戦争の番組を見るときだけは、さも戦争を真面目に考えている、善良なる日本国民になる。それが偉いと思っている。それで良いと思っている。それでいて偽善は嫌う。
一番の偽善者は誰か、胸に手を当てて考えてみると良い。

それで分からなければ、それこそが真の偽善者である。
戦争番組をエンタテイメントとしか思っていない証拠だ。

もちろん制作者は視聴者に見てもらうために作っているわけだから、多少なりとも「見ごたえ」の有るように作っている。
だからエンタテイメントというのは間違ってはいない。

それをエンタテイメントではないと否定し、否定しつつもその番組を楽しみにし、見た後だけ考え、飽きたら止め、うまい具合に洗脳だけされて記憶にも残らない。

戦争は終わっていることを知っているから、今を生きる人にはそれに関して何もすることなど残されては居ない。大抵の人は、それも知っている。
知っているが、番組に洗脳され感化され、何かしたいと思う。何かせずにはいられない使命感を持つ。
その「何か」が、番組の内容に左右される。

戦争を奨め日本軍を讃える番組など、今の日本にありはしない。そんな考えを持つこと自体が、今の日本では犯罪者扱いだ。
国を思うことが犯罪者。国の為に働いた人を想うのが犯罪者。
こんな国など日本しかあり得ない。

だから、感化された人々は過去の日本を不必要に責め立てる。それが正義だと信じている。
自立した考えだと思って使命感を持っているのに、それが実は借り物でしかないことに気がつかない。考えた末の行動だとしても、考え自体が操作されているから、進む方向が最初から決められている。


勝てば官軍。勝てば政府は戦勝国の自由だし、法律や自国との関係も一方的に決められる。

戦争は65年前に終わった。
しかし「敗戦」は未だに続いていることを、忘れてはいけない。

戦争の上辺だけを知りそれがすべてだと思い込み、妙な使命感など持って何の意味があるのか。


戦争の真実を学び、知り、継承すること。

我々に課された使命があるとするならば、それが今の我々に出来るただ一つのことなのではないだろうか。





2010年8月15日(日)00:19 | 日常 | 管理

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