君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


Praying Is A Waste Of Time

はい。

時間とは基本的に残酷なものです。

1次元は線、2次元は面、3次元は立体ですが、4次元はなんなんでしょうね。
まぁこれはもの凄く古くから考えられてきた事ですが、明確な答えはまだ出ていないですね。まぁ数学や物理では概念として使いますが、実際には何のことやらさっぱりです。
「計算した結果あるいは過程で、よくわからんけど4次元が出現した」だけなのかも知れません。

まぁそれは置いときましょう。


低次元からは高次元は見えず、知覚できない。

例えば4次元目の要素は時間だとされていますが、「時間を感じる」ことはないですよね。水が流れていくように目には見えないし、触れられない。

ただ結果として、物事が変化したことで疑似的に時間を知覚していることになります。


例えばアリは、厳密には立体ですが、彼らは立体を意識して生きてはいません。(ホントのところは不明ですが)つまり、実質的には2次元の住人ということになります。

蟻が歩いている時、前方に壁があっても、蟻はその壁(立体)を認識していないので壁にぶつかるまで進みます。「どうやら進めない」と分かると、方向転換します。


つまり、低次元の上に高次元が遮ると、それはまさしく「超えられない壁」となるのです。

蟻が壁を乗り越えるとき、立体を平面にして、そのまま進みます。
というのは、蟻に重力の概念があるかは置いといて、蟻にとっては「壁を昇っている」のではなく、「地面を歩いている」だけなのです。

壁を昇るというのは、立体的なものの考え方です。地面があるから、今昇っている平面を壁を認識できる。


で、3次元にとって高次元の壁というのは、どういうものでしょうか。

知覚できない以上、それを見ることは叶いませんね。
壁があったとしても、それを壁だと認識できないのです。

立体の上が時間だとすると、立体に時間が横たわることになります。

もはや何がなにやら分かりませんね。
で、蟻にとっての壁のように、それを自分の次元に落として、そして乗り越えることは可能なのでしょうか。


時間は、基本的には普遍に不可逆で流れます。
これを知覚するのが4次元の住人ということになります。


とはいえ、我々3次元の住人が空間を知覚出来たところで空間を操ることが出来ない以上(空間を歪めたり、分断したり)、4次元でも時間を操ることは出来ないのかもしれません。

操るといえば、蟻にとっての壁を作ったり、あるいは進路に谷を作ることなんかは出来ますね。逆に橋を作ったり。

そう考えると、同じ次元は操れなくても、下の次元は操れるのかもしれません。

じゃあ4次元の住人は3次元を操るのかは分かりませんが、我々にとって蟻の個体に区別がつかないように、4次元の人々(人かどうかは知らない)は、我々のことなど判別できないでしょうね。


我々が必要に迫られて蟻を妨害したりすることなどないように、彼らも暇つぶしや、悪戯にもならない程度の、少しも苦に思わない(それこそ我々が蟻を想うことの無く殺すみたいに)ように、気まぐれで3次元を操ることはあるのかも知れません。


少なくとも昔は人が消えたり、どこか遠いところで発見されたり、3日で年老いたり・・・などということがありました。信じるかどうかは別ですが。

史実かどうかではなく、そういうことも可能なのではないかと思うのです。
我々が蟻をさらって、数キロ離れたところで放すのと同じです。



しかし時間とは残酷ですね。
もうこんな時間だ。


ではまた。



2010年9月8日(水)00:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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