君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


音楽の方程式

はい。

今日も更新。


僕は自分の声を録音して聞いたことがありませんでした。

理由はさだかでは有りませんが、「人間は本能的に自分の声を嫌う」のだそうです。

考えてみれば、聴いたことのない声を初めて聞いて嫌う理由はありませんよね。
少なくとも初対面の人の声が嫌いということは、僕にはありません。

それが録音した自分の声には嫌悪感を抱くのは、みな同じなのではないでしょうか。ラジオや声優や、声を使う人も最初はそうだったのかも知れません。


僕は車の中で大熱唱するのが運転中の趣味なわけですが、つまり手軽なスタジオといえなくもないと思います。

で、今日は先日買ったのに碌に活用していないハンディレコーダを使って歌ってる声を録音してみました。


・・・酷いもんですね。嫌悪感も或いは含まれているのかもしれませんが、それにしても。
ああ、H2の音は良いのですが。

僕の『マイスタジオ』では、カラオケより誰にも気兼ねしなくて良いから、歌えない曲でも歌ってみたりします。

で、今回はTMGEの曲なんかを歌ったのを録音したのですが、チバの声が、やっぱり凄いのだと思いました。






声をギターに例えるというのはおかしな話なのですが、特にチバの声は歪ませたレスポールの音に似ていると感じたんですよね。

普通の人の声は、きっと例えにくいと思います。そもそも共通点すら見当たらないものですからね。
とはいえ、「音のキャラクター」という意味では例えようもあるのかも知れません。

僕がチバと同じように声を張り上げると、安いストラトのような音でしょうか。太く甘い声には程遠いのですね。



そうやって「声のキャラクタ」で分類してみると、僕の好きなバンドは、基本的に甘い声なのかもしれません。

普通で言う「甘い声」なんてのは嬌声とでもいうような、甘美なものでしょう。
或いは僕にとっては、それらは等しく甘美なのかも知れません。


そもそも「甘い音」なんてのは感覚的なものだし、その感覚は個人で違います。レスポールが甘いなんて誰が決めた訳でもないのに、共通の認識として捉えられている事実がまず驚愕すべきなのかも知れません。

音は耳で感じるだけだし、それによって人間に与えられる変化というのは何か。
単なる空気の振動が、人間に何を及ぼすのでしょうか。

例えば耳をつんざくような悲鳴を聴けば、その声は人を不安にさせるに十分な材料です。
雷を怖がる人も居ますし、ガラスをひっかく音は僕も何故か嫌いです。

逆に、真空管アンプの音に人間は安らぎを覚えるのだとか。また、ホワイトノイズやピンクノイズにも安心したり集中したりする効能があるようです。

川のせせらぎや、小鳥や虫の鳴き声や、風鈴の音なんていうのは、僕はとても心が安らぎます。

そして音楽理論の基礎はスケールやコードですが、これも「人間の感じる情緒」が元になっています。マイナー調のスケールでは悲しい「感じ」になります。不協和音では不快になります。
オクターブなんてのも、実は異なる周波数で異なる音なのに関わらず「8音上」という概念が存在します。


そしてそれらは、不思議な事に個人レベルの話ではなく、人間全体に言えることなのです。
(一説によれば虫の鳴き声に風情を感じるのは日本人特有という話もありますが、これも不思議な話です。)




つまり『ヒットする音』というのがこの世には存在するのではないでしょうか。

人間が好きな音・嫌いな音がこの世に存在する以上、それらを上手く組み合わせれば、意図した目的に自然と人が集まることも可能かもしれません。

とある場所に、例えば『不思議と人が幸せを感じる音』を流してやれば、そこに居る人は幸せを感じる。そうしてやがてパワースポットとなるのかもしれません。


売れる曲と売れない曲には、そういった要素も関係するのではないでしょうか。
聴いていたいと思える曲、聴きたくないと思う曲の違いは、好み以前の問題もあるのかも知れません。


とはいえそんなものが発見され、理論が研究され実証されたという話も聴きません。
発見されたのなら、その曲は「スリラー」以上の人類史上の大ヒットとならなければ実証されたことにはなりませんものね。

だからそんなものは存在しないと考えた方が良いのかもしれません。
そんなものを考えるくらいなら、音楽理論の勉強でもした方が実益になるのかも知れません。


しかしやはり嫌われる音が有る以上、好まれる音は有るはずなのです。

『聴くと発狂する曲』といわれているカール・マイヤーという曲がありますが(聴いても発狂しませんでした。あるいは既に?)、聴いていてとても不快なので嫌いです。

この曲を好きだという人は、人間には居ないハズです。
まぁ僕からすれば曲かどうかというのも怪しいところですが。


反証でしかないのですが、『万人に嫌われる曲が存在するのならば、万人に好まれる曲は存在する』と僕は信じています。

ただし僕は「流行り」が大嫌いなので、好きとしても嫌いと言ってしまうかも知れませんね。
それ以前に、メディアが嫌いなのでそんな音楽があることすら知らぬまま過ごすのかもしれません。あるいは過ごしているのかも知れません。


「万人に好かれる曲」という解が導かれるには、未知数の要素が多すぎて発見されていないのでしょう。そしてその方程式が解かれることは、きっとないのでしょうね。あるいは発見されるとしたら偶然なのでしょうね。


そして僕としては、発見されないことを望みます。

音楽の方程式に、答えなんて無い方が良い。

僕はそう思います。


ではまた。



2010年10月7日(木)23:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音談義 | 管理

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