君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


更新休止/思考の墓場

はい。

お久しぶりです。

別になにかあった訳ではないのですが、更新してませんでしたね。

そんでこれからは明確に更新出来なくなるっぽいので、その旨を告知いたします。


それとツイッターもしばらく離れます。

飽きたというよりは、むしろ逆ですね。
ちょっと距離を置こうと。


最近は特に、気分の悪い話題しか流れてきませんのでね。見てて腹が立ったりムカムカするなら、見ない方が良い。そう思いましてね。

ツイッターやることで気苦労したり、知らなくてもいいことを知ったり。決して良いことばかりではない。あってもなくても同じなら、無くても良い。



というわけで、しばらく更新休止。
再開はいつになるのやら。






最近更新してなかったら、なんかちょっとは調子が良い気がしてきました。
いや、ただ単純に気のせいなのか、調子が悪いと感じる機会すら失っただけなのかもしれませんけどね。


調子が良い・悪いというのは、思考の巡りとでもいうのでしょうか。


ここ最近、ツイッターやブログにどっぷりと浸かるようになって、思考が苦手になったのではないかと感じることが多くありました。

「アウトプットは思考の墓場」なのではないかと。

出力するということは、思考を終えた後のこと。一旦アウトプットしてしまえば、いつまでも思考をため込んでおく必要もないわけで、その瞬間に考えなど吹き飛んでも構わないことになる。

そうなればそれ以上の思考の発展は望めないし、普段から考えるそばからツイッターなんかでアウトプットしてしまえば、考えることすらしなくなる。


これはツイッターでも書いたことですけどね。

「思考のプール」の必要性が、だんだんと無くなってきたのではないかと。


しかし必要性が無いからと言って思考しなくても良いということにはならず、思考しなければ人間は思考”出来なくなる”のです。

いざ思考しようとしても、思考の巡りが鈍ったり、そもそも出来なかったりする。

僕はここ最近ずっとそんな感じでした。
何か考えようとしても考えられない。考えようと思っても気が付いたら時間だけが過ぎていた。


「人間は考える葦である」とはいうけれど、考えることを止めた人間は人間ではなく、ただの葦です。そこらに生えてる草と大差ありません。


人間は「考える」葦なのです。「アウトプットする」葦などではない。

アウトプットは思考の墓場。
思考のプールの放棄。


だから更新しなかったというのも一つの理由です。



これは別に実験データなんかではないので、事実かは定かではありませんけど。

ブログを始めて、思考が鈍くなったと僕は思います。
ツイッターを始めて、覚えておくことをしなくなったと思います。
書いたことを留めておかなくなった。

ブログを続けて、その場で思ったことを書き連ねるだけ。
日常から思っていることを書き著すのとは違い、思った瞬間に書き、次にはもう忘れている。

覚えていると認識しているのは"書いた"という事実だけ。そして記憶していると思い込んでいるのはアウトプットした文字列だけ。

文字列は記憶ではなく、記録です。
そこにそれ以上の思考の発展は存在しえない。

思考するのは、常に人間です。
出力した時点で、その思考は死んでしまう。
アウトプットは思考の墓場、ではないでしょうか。

もちろん出力が必要な場合もありますし、それによる「思考を広める」ということも可能です。出力は重要ですが、出力は目的ではなく手段であるということを念頭におかないと、足をすくわれるのかも知れませんね。


ではまた。

ツイッター・ブログ共に再開は未定です。
とはいえ巡回はしますけどね。



2010年12月2日(木)02:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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