君と僕と幼女(Ⅱ)
 
犯罪者になるつもりは毛頭ないというのだ。ベーシストよ、変態であれ!
 


袈裟まで憎い

はい。

ちょっとジングルの手直ししようと思ってDAWを弄ってたら、あっという間に1時間くらい経過してました。怖いです。


さて話題話題・・・どっかに落ちてないかな?


話題が見つかりません。



先日11月になったばかりなのに、もう11月13日です。
このままでいくと11月なんて無かったのとおんなじになってしまいます。

11月なんて、ただでさえ影が薄いんだから。
11月って特に何もないと思うのですが。


んで12月。本格的な冬ですね。
12月は年の瀬が控えてて、師走などといって皆忙しいのではないでしょうか。

子供にとってはクリスマスという無条件で「何か買ってもらえる日」という、別にキリスト教でも何でもないのに「クリスマスは良い日」と認識してしまうイベントがありますね。


そうだ、正しい宗教観を身に着けてもらうためにも、子供にそういう邪教の風習は一切やらせないことにすればいいんじゃないでしょうか。

そして正しい宗教観を身に着けてもらうために、まず宗教を決めてもらう。

大抵の場合、「一家」が宗教ですよね。
子供に神は選べないので、結局のところ親がその宗教なら子供は自動的にその宗教なんですよね。

そうすると、子の生活様式が一家の宗教と密接に関わるため、子供が大人になっても、それは「一家のしきたり」ということになって、別段特別なことでななくなるのです。

そうすると逆に、自分と違う宗教に対しては「不思議だ」と思うのです。


だって僕にはキリスト教が良く分からないですもん。
それならまだ仏教の方が分かりやすい。


まぁどっちも大嫌いですけどね。


僕の家も、いつからかは知りませんが、おそらく遠い昔から仏教だったのでしょう。

しかしそもそも「仏教とは何か?」と考えたら、「ブッダの教えを守る会」みたいなもんなんですよ。
原形はバラモン教らしいですけど。

それがなんでさ、「死んだらお布施」とか「戒名やるから金くれ」とか、誰が決めた?ブッダはそんなの決めてないですよ。

地獄の沙汰も金次第ってのは、まさにその通り。坊主は結局、説教して金貰える「商売」なんですよね。

まぁそれはどの宗教も似たようなもんですけどね。
「教え」とかいって、結局は金ですよ。欲を出すなとか言っといて、金がなきゃ経も唱えない。何が仏教だよ。ファック。



で、なんの話だっけ。


読み返しても分からない・・・



うん。

アレだね。


みんな年末年始の初詣は、神社と寺どちらに行きますか?
正しいのはどちらだと思いますか?


答えは「どちらでもいい」のですが、本来の考え方では神社が正解です。


年末年始の初詣は、そもそも「年神様」に『今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします。』とお願い、つまりお参りする行事です。

そして本来であれば「大晦日と元旦」の二回お参りするのが正しいです。
大晦日は「今年はありがとう」と、元旦は「今年もよろしく」と神様にね。


年神様は「おおとしのかみ」というのですが、この神はかの有名なお稲荷さん(うかのみたまのかみ)と同格で、とても偉い神です。

というのも、「お稲荷さん」「年神さま」は共に穀物をつかさどる神で、ちょっと前の日本人には非常に有り難がられていたからなんですね。
信仰されているほど、力が強いんです。


というわけで、初詣に寺に行くのは本来は間違いです。


とはいっても今の日本を見ればわかるように、古来日本で信仰されていた神道と、大陸から伝わった仏教が生活に深く浸透して、「どっちがどっちと定めない」という日本独特の風土が形成されています。

通常の例に倣うと、○○教と××教は、信者同士では相容れません。一つの宗教を信仰していながら、もう一つの宗教を信仰するなどと言うのはホントにありえないです。

でも日本はなぜか出来ちゃいました。まぁ神々も八百万いるしね、いまさら数人増えても気にしないのでしょうね。


そういうわけで、「神様も仏様も、基本的には同じだよ」という考えが広まったので、今では「お参りはどちらでも良い」とされています。


僕はブッダの教えはすげぇと思うけど、仏教は嫌いです。
だから寺も嫌いです。
だから初詣やお参りは神社に行きます。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってやつですね。


憎いまで行かないけど、嫌いです。

まぁ昔は仏教の権力が今よりずっと強かったので、長いものに巻かれる感じで「仏教すげぇ」っていう風習だったみたいですけどね。

それが幕府の権力と直結してたもんだから、新政府軍は対抗して神道を国教にしようって企んだ。

で、歴史に倣って明治維新が起きたら、「廃仏毀釈」で今まで幕府の陰で好き勝手やってきた仏教の建物やなんかを、みんなが壊しだした。それで貴重な物品も燃やされたりしたわけですが・・・

でも結局、根付いた風習というものはそう簡単には捨てられないわけで、いつの間にやらそれも収まったようです。
基本的には死んだら仏教のお世話になるしね。




何の話かすげぇ分からなくなった。
読み返しても分からない。

民俗信仰って面白いですよね、って話にしときましょう。




ではまた。



2010年11月13日(土)01:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

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